【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 食料危機!

「ワッ、米ビツが空っぽだ!」。
少年時代、ジワジワと来る恐怖感の最たるものは、それだった。若い人(といっても50代まで含むのだが)にはあまり体験のない恐怖感に違いない。だが敗戦直後に食糧難を体験した人々には、苦い思い出である。「家族の食べる、食べ物がない!」

最近、ニュースや記事で「食糧危機」という言葉を見るたび、疎開先の少年時代を思い出す。
「米ビツ」が空っぽに近くなる度、母親の着物などが箪笥から引き出された。親戚には、ヤミ米運びで捕まったオバアチャンもいた。それほど長い期間じゃなかったが、子供心に恐怖感は残った。
以来、“食糧難”の文字には時々「PTSD」(心的外傷後ストレス障害)反応が出る。
つい最近も反応が出た。もし、このまま世界的食糧危機に突入したら、どうなるんだろう。
「自給自足」が大切だ、とばかりに出来もしない自衛策を講じることになった。
無頓着だった同居人も、少しは関心が高まってきたらしい。(ただし食糧難の恐怖感からじゃない。あくまでおアソビ感覚である。)まあ、それはそれでいい。
去年の成果に味を占めて、ジャガイモを植えた。カボチャの苗も植えた。ミツバは去年のものが芽を出している。ネギも山山葵も去年のものが顔を出した。
さらに、である。函館の友人から貰った貝豆という、フシギな豆を蒔いたら大量に芽が出てきた。
じゃぁ、キャベツはどうだろう?これが何と嬉しいことに、立派に育ち始めた。だがミニトマトは霜にやられた。
勿論、こんなことで食糧難が回避できるわけじゃない。だが、何となく安心の種は育ててくれる。
目を移せば、遅ればせながらヤマザクラのサクランボも豊潤に実ってる。
ハタと思いついた。「ヒトはパンによってのみ生きるに非ず。パンと希望によって生くるなり!」
阿寒の森は、多少の安心と希望を与えてくれる。だが、東京永田町の森は果たして希望を与えてくれてるだろうか?
キャベツは間違いなく、買ったほうが安いだろう。だが、このキャベツは安心と希望をこよなく与えてくれる。