【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

  YOSAKOIソーラン!

たった1人の熱い“思い”が世の中を動かし、やがて大きなうねりとなって日本全国の若者達を、波の中に巻き込んでいった!
札幌の2大祭のひとつ、「YOSAKOIソーラン祭」の話である。
18年ほど前、ある大学生(北大)が土佐高知に旅をした。彼はそこで「よさこい祭」に出会う。
「夏の北海道にもこんなお祭があったら・・・」。発端はそれだった。

100人の学生達が奔走し、1992年第1回「YOSAKOIソーラン祭」が開催された。参加チーム10チーム。それが07年には参加チーム334、観客214万人へと膨張した。
わずか15年で240万倍に増殖したのである。今年はどれくらい人が集まったのだろう?「リオのカーニバル」(謝肉祭)もまっ青である。
阿寒でも7月26日、「ふるさとほろろん祭」が開催された。ここでの目玉もやはり、「YOSAKOIソーラン」だった。クラブチーム、高校生チーム、小学生チーム・・・さまざまなチームが日頃の練習成果を披露した。

YOSAKOIソーラン」は文字通り、高知の「よさこい節」と北海道の「ソーラン節」を融合させた踊りである。
ルールは「鳴子を持って踊ること」、「どこかに必ずソーラン節」のフレーズを入れること、この二つである。自ら自由に表現できることから、高校生など、一気に全国的な広がりへと拡大した。
こうなればもはや、単にお祭じゃなく、自ら、もしくは自分たちの思いを表現する現代文化といっても過言じゃないだろう。
モチロン、伝統的な文化の継承を主張する人々には異論もある。
だが、「YOSAKOIソーラン」は、夏の札幌のみならず、さまざまな自治体にも転移した。
それだけ人々の心を揺さぶったということだろう。
ここにハコモノに頼らない町おこしの原点がある。

そう、“思い”はさまざまなものを動かす。地域だって、国だって、人の心だって。
勿論、不肖ワタクシにも熱い“思い”はある。
だが、誰もその“思い”には腰をすえて乗ってはくれない。
きっと乗れない何かがあるんだろう。
エッ、そもそも“思い”が弱いんじゃないかだって?う〜む。