【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

誇り!


暑いのが大好きである。「どれだけ暑くてもヘッチャラ」だ。夏でも日向ぼっこするし、大体、相当暑くても汗を掻かない。(モチロン、冷や汗やアブラ汗はよく掻いている)。
バカバカしいが、それは、暑さにゃ強い!という妙な「誇り」になっていた。
ところが今回の東京生活で異変に気付いた。どうしたことか、汗をダラダラ掻くのである。暑い!ことに閉口するのである。危ないぞ、鼻クソの欠片ほどの「誇り」が崩れかねない。
こういう時はどうしたらいいか?そうそう、他の「誇れるもの」を見つけることだ。ウン、ダテに長く生きちゃないなあ。で、どんな「誇れる」ものがある?
そうだ、エゾゼミはどうだ。「本州では見かけないエゾゼミの棲む町」。幾らなんでもこりゃ、小さすぎる。
じゃぁ、オンブバッタはどうだろう。まあ、これはどこにでもいるしなぁ。
鼻笛が吹けるというのはどうだろう。ウン、これはいいかもしれない。日本広しといえども、鼻笛吹ける奴はそう居らんじゃろう。
まだまだあるぞ。「エゾシカとタンチョウが訪ねてくる家」「7月に紅葉が始まるミヤマザクラ」「一万年前の化石が転がってる町」「ウクレレの弾けるコピーライター」・・・。
小っちゃな「誇り」がそれこそ埃のように湧いてくる。要は、何でも「誇り」になりうるのだ。
町おこしのヒントは実は、この「誇り」探しにあるんじゃないか?
ひとりの「誇り」は10人の「誇り」。10人の「誇り」は1万人の「誇り」。1万人の「誇り」は郷土愛に繋がる。郷土愛こそ町づくりの原点だ。
そうそう、イチバンの「誇り」を思い出した。没後20年になる母親だ。彼女は「ひとりのお客さんは、25人のお客さんにつながる」が口癖だった。「それだけひとりのお客さんを大切にしなけりゃならない」。それを小学生時代に教わった。今でも決して古くないコンセプトだ。
今日は迎え盆、天国の母親が「ホラ、そうだろ?」と言いながら降りて来そうだ。