【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

中秋の名月!

出てきた、出てきた!待ってた甲斐があった。仲秋の名月だ。
風もない。雲もない、音もない。いや、強いて言えばシーンという音がある。
その空に、名月は凛として昇ってきた。こんなに真剣に月を待ったのは、何十年ぶりだろう。勿論、東京在住時には一度もなかった。

アラビアでは名月に吠えるライオンを見るという。東ヨーロッパでは女性の横顔、アメリカではワニだという。一方、日本人は名月の中に、餅をつくウサギを見た。
名月は、実は物理的な宇宙の「天航」現象である。だが、人類は何万年もの間に、物理を変換キーで感情に置き換え、それぞれの民族が、それぞれの物語を紡ぐ。そして子孫にその物語を引き継いできたのである。
そのせいだろうか、名月は人を詩人にするという。だがその一方で、満月の日には犯罪が多いと言う。
今年の中秋の名月は、実は十四夜だった。多分そのせいだろう、ただただ名月を見上げるだけで詩人にはなれなかった。写真もぼけてしまった。果たして犯罪のほうはどうだったのだろう?

詩人になりたくて、十六夜も、木の枝にかかった曇りの十七夜もただただ見上げた。だが詩人にはなれなかった。ウサギも見えなかった。
目をつむると見えて来るのは、今年40周年を迎えたアポロ11号の月面着陸の写真だけだった。
・名月や畳の上に松の影(榎本其角)
う〜む、とてもこんな風にはなれない。それどころか子供の頃信じてたウサギの物語りも感じられなくなってる。