【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 タンチョウAGAIN!


哀しいことに現在、地球上からは1日100種の割合で生物が絶滅してると言われる。写真のオジロワシだって、絶滅危惧種だ。
一年に何と4万種が絶滅していく現実に至って、ようやく人類は生物多様性の重要度に気がついた。この10月にはCOP10生物多様性における歴史的な「名古屋議定書」が採択された。
だが、阿寒にはすでに60年も前にたった一人で絶滅危機種に、真剣に立ち向かった人物がいた。
後に「ツルジイサン」と呼ばれる故山崎定次郎氏である。
昭和25年1月、ある酷寒の朝、定次郎氏は絶滅危惧の数羽のタンチョウを見かけた。タンチョウは凍え、飢えてることが見て取れた。「何とかタンチョウに餌を与えたい」。
その日から、定次郎氏は自宅で穫れたトウモロコシを畑に蒔き始める。程なくタンチョウはトウモロコシを啄み始めた。世界でも初めてと言われるタンチョウ人工給餌の始まりだった。
この年、釧路地方は猛烈な寒さで、タンチョウの餓死が相次いでおり、この給餌で7〜8羽のタンチョウが生命を救われたという。
38羽まで減少していたタンチョウは、その二年後、阿寒湖のマリモと一緒に特別天然記念物に指定され、阿寒中学校や愛護会などの手厚い保護活動を受けることになる。
現在は1300羽を越えるまでに回復。住宅難になった釧路湿原から十勝へ移住するタンチョウも出てきてるという。

WWFが野生動物保護を声高に言い始めるはるか前に、民間ベースで、しかもたった一人でこうした活動を始めた事実は、まさに世界に誇るべき偉業と言っていい。
さらに言えば、欧米の覇権主義なんかより遥か上のレベル、全地球的価値観を保有する日本人の極めて高い文化度を表していると言っていい。
「山崎さんの偉業を讃え、町おこし及び観光に結び付けられないだろうか」。今年5月から振興公社で働き始めたふたりのツアーデスクはそう考えた。
「よし、やろう!」何人かの有志がその提案に乗っかった。タンチョウに魅せられ、タンチョウを愛し、タンチョウと共生し、タンチョウと阿寒を全国区に仕立て上げた人たちである。
このところ少し減衰していたエネルギーが再点火されたようだった。実行委員会がつくられ、仕事が始まった。

昨日12月5日、「タンチョウ給餌60周年感謝祭」は、人工給餌が行われてる阿寒国際ツルセンターにおいて、イベントとともに開催された。
定次郎氏の偉業を讃える「釧路市長からの感謝状送呈感謝際」、「タンチョウ給餌の実際」「特別天然記念物タンチョウと特別天然記念物オジロワシの給餌争奪戦」、阿寒で生まれた「タンチョウ踊り」、
生涯カップルで暮らすツルの愛にあやかった「タンチョウ結婚式」、鴨鶴、白鶴など鶴の名の付いた「鶴酒試飲会」「60年を振り返ってトークショー」「タンチョウ写真展」、ツルは千年にあやかったご長寿願い「千年鍋」・・・さまざまな楽しい催しが開催された。

「疲弊する日本経済、地域経済の中、観光資源への感謝を活性化に結び付けたい」と開催されたこのイベント。12月としては極めて暖かい好天の下、老若男女100人を超えるスタッフが集まった。
地元のマスコミも何社もやって来た。国際ツルセンターは華やかに彩られた。それだけでも大成功だったと言っていい。不肖ワタクシもスタッフの一人として参加できたのは幸いだった。
タンチョウはやはり阿寒の宝である。もう一度、タンチョウの持つ魅力と磁力を見直し、世界にも例のないONLY阿寒の財産として誇りを取り戻す必要がある。その誇りを次世代、次々世代に渡すことこそ、我々世代の責務といえないか。

当日夕方、「感謝祭イベント」はHBCで放映された。翌日朝刊には、道新の釧路版のみならず、全道版にも掲載された。
「タンチョウAGAIN!」は、いろいろな人の心を動かした。もっともっと、自信と誇りを取り戻したい!参加した大勢のスタッフの目にはそう書いてあった。

※写真はツルの電飾モニュメント