【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

箱根駅伝考!

海外でも大人気の「EKIDEN」(英語じゃなく、日本語で“駅伝”と書けよ!)の語源は“701年”まで遡る。そう、誰もが“名を広めた大宝律令”の年譜語呂あわせで覚えた年だ。
当時の中央政府は、太く、スピーディな動脈づくりのために街道に「駅馬伝馬制」(駅伝)を導入した。それ以来「駅伝」というシステムは、江戸時代もず〜と引き継がれてた。
その「駅伝」という言葉を陸上競技に導入したのが、神宮皇學館皇典研究所長の竹田千代三郎だった。
彼は、1917年(大正6年)[京都・東京不忍池間徒歩競争]という企画を読売新聞から相談された。その際「東海道駅伝徒歩競争」というネーミングを提案、「駅伝」の名付け親になる。
この企画は大人気を博し、3年後の1920年大正9年)、読売新聞の後援で始まる箱根駅伝の原型となった。だから、箱根駅伝は「駅伝」の元祖、本舗であり、King Of Kingsである。しかも、いまや2000万人がテレビ観戦するビッグイベント、ビッグビジネスであり、世界で一番の駅伝大会へと大化けしてしまったのである。
箱根の王者ぶりは数えればきりがない。87回という開催回数、学生主体の運営、過酷な山登り、150万人を超えるという沿道の応援の多さ、27%を超えるテレビの視聴率の高さ、さらには関連グッズの売上、アーカイブ・・・。

だが、圧倒的なのは20km以上走れる優秀な走者を10人揃えるという難題だ。1人が速くても勝てない!当然、能力以上のムリを織り込んで走る走者もいる。そのために、健康上のアクシデントやブレーキ、さらには繰り上げスタートなど、数々のドラマが発生する。観戦者は、そこに自らの人生を重ねあわす・・。
2006年からは出場校が15校から20校に増えた。200人が毎年箱根を走る。箱根を走った学生は、やがて実業団へ、そして、マラソン選手へ、さらにはコーチや監督へ、そして解説者へ。何十年にもわたって、彼らの駅伝人生をさらけ出して見せてくれる。
一方、箱根を観た者は何十年もの間、毎年、彼らの人生に自分らの人生を重ねあわす・・。
かつての早稲田の若武者、渡辺康之監督も立派になったし、元S&B食品監督、偉大な瀬古利彦解説者も観れた・・。

今年は、長野の佐久長聖高校出身者が19人と出場者の10%近くにのぼった。長野の小さな広告代理店では、箱根駅伝のスポット広告は売り出すとすぐに埋まってしまったという。その人気振りは長野でも伺えるし、東京もモチロンそうだろう!
箱根は、ビッグスポーツイベントだが、もはや世界に輸出してる文化にまで昇華してると言っていいだろう。さて来年はどうなるか。選手と同じように、今からもう箱根の観戦をめざしてる・・・。バカと思わないで欲しい・・。