【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 JAL「鶴丸」、復活デモフライト!

タンチョウは長寿のシンボルである。深い愛の絆のシンボルでもある。古代から珍重され、江戸時代には広重などによってその美しさがさかんに描かれ、手厚く保護されていたという。

だが2002年、JALはタンチョウを簡単に捨てた。
日本エアシステムとの合併によって、それまで尾翼に舞ってた「鶴丸」マークを「半欠け日の丸」マークに変えたのである。
思えば日航の経営危機はここから始まったのかもしれない。
実は日航は“世界に羽ばたく日本の航空会社”を願って1954年、タンチョウをモチーフにした「鶴丸」マークを尾翼に描き始めた(商標化は1959年)。
敗戦で打ちひしがれてた当時の日本人たちは、世界を飛翔する赤い「鶴丸」マークを見て、世界に飛び立つ日本の復興エネルギーと誇りを取り戻したという。

当時の夢と希望を再現したい・・・。
鶴丸」をJAL復興のシンボルに、とJAL経営陣が考えたのももっともだ。「鶴丸」は、今年4月から復活、国際線に「不死鳥」のごとく飛翔することになった。
復活を記念する初号機のデモフライトが、2月28日、タンチョウ釧路空港に飛来することになった。
さぁ、地元の「鶴丸」ファンは大騒ぎだ。道東観光圏のイメージキャラクターが「つるまる」君と決まったこともあって、いろいろな歓迎プランが用意された。

くしろ蝦夷太鼓保存会、阿寒タンチョウ愛護会、タンチョウ人工給餌60周年事業実行委員会、さらには大楽毛(おたのしけ)よしの幼稚園の園児たち、そしてカメラマン、報道陣など300名近くが続々と空港に集まってきた。
だが、「鶴丸一号機」は霰で羽田を離陸できない、というアナウンス。「もしかしたら、来ないんじゃないかしら?」
歓迎陣に一瞬、不安がよぎった。

不安は杞憂だった。「鶴丸一号機」は一時間遅れではあったが、16:30、優美な姿でフワリとタンチョウ釧路空港に着陸した。
日航の大西賢社長や経営陣、タレントの「クリス松村」氏や報道陣など、213人の乗客が降りてくる。
轟く蝦夷太鼓、園児たちの旗振りの音と「くしろへよ〜こそ」の声、そしてカメラのシャッター音・・。
当初は鶴居村へ向かう予定が一時間の遅れで、急遽阿寒に変更、一行は「阿寒国際ツルセンター」にバスで向かった。阿寒なら空港から20分だ。タンチョウはまだ見ることができるはずだ。乗客は喜んでくれただろうか?

(尾翼に誇らしげに「鶴丸」を舞わせて着陸した一号機)
さまざまなセレモニーを終え、一行は午後7時過ぎ再び羽田に戻っていった。わずか2時間半の滞在というあわただしさだった。
それにしても「鶴丸一号機」が悪天候で離陸できないということ自体、前途多難を思わせる。「一体、JALは再生できるのかいな?」
『ダイジョブ!ダイジョブ!ツルは長寿、ツルは千年!』。一行が羽田に飛立つ前、“ツルの一声”が、図らずも暮れなずむ空から聞こえてきた。
う〜む、経営陣に聞かせてあげたい鳴声だった。
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