【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 駅伝シンドローム!

▼元旦9:00。群馬県庁前で号砲が鳴った。年始恒例「ニューイヤー駅伝」だ。実業団NO.1めざして37人の選手が一斉にスタート!同時に不肖ワタクシの一年もスタートした。が、選手や応援団にはこのレースが終わるまで正月は来ない。
▼1月2日。東京大手町読売新聞社前でも号砲が鳴った。20人の大学生たちが正月の街に飛び出していった。もうご存知の「箱根駅伝」。めざすは次の選手に襷を渡すこと。これから208km、11時間に及ぶロングトレイルが始まる。

(2日の夕方、阿寒ではサンピラーみたいなフシギな光がみられた)
▼不肖ワタクシは毎年三が日、「駅伝漬け」になる。何しろ3日間、トータル24時間、テレビに釘付け。スポーツ紙を何紙も買い込み、結果をじっくり吟味する。病膏肓である。だが、一族にバカにされようと、疎まれようと、これが我が正月だ。
▼ウレシイことに、“駅伝シンドローム”は自分だけじゃない!というのも、正月番組で「いの一番」にCM枠が埋まるのは「駅伝中継」。理由は簡単、視聴率が高いからだ。企業の宣伝部は、日本人の「駅伝」好きをよく知ってるのである。
▼もう一つの証拠を「箱根」に見ることができる。沿道には100万人もの観客が並び、テレビは29.1%の視聴率を誇る。九州や北海道から駆け付ける人もいて、たかが「徒競争」なのに正月を揺り動かすイベントと化すというワケだ。
▼何故、日本人には「駅伝シンドローム」が多いのか?もしかしたら我々は「駅伝」を単なるスポーツと見てないんじゃなかろうか?生き様や価値観や美学を投影してるんじゃなかろうか?

(4日の朝、不遜にも断りもなく庭に侵入して通り過ぎて行ったキタキツネの足跡があった)
▼確かに、「チームのために、全身全霊で個の力を尽くす」という駅伝の競技形態は、ラグビーのジョンブル魂にも、日本の「武士道」にも通ずるものがある。アメリカのMEイズムを超えて、世界の今後をリードする文化とも思えてくる。
▼今年、「ニューイヤー駅伝」では「コニカミノルタ」が6年ぶりに。「箱根」では、予選会から勝ち上がった日体大が、往路優勝も含めて30年ぶりに総合優勝した。「個の力」を「チームの力」へ結集出来た結果である。