【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

“間”

▼極論すれば、この世の中は“空間”と“時間”の2つの“間”で成り立ってる。つまり、「縦×横×高さ」+「時」という4次元が、生きとし生ける者の「フィールド」となってるのである。じゃ、この“間”って何だ?
広辞苑をひくと、『間』=物と物、または事と事のあいだ。間隔。すきま。あいだの時間。ひま。いとま。などとある。“間”は使い方によって姿を変えるアメーバみたいなフシギな言葉なのである。

(裸木の“隙間”を縫って太陽が顔をのぞかせた。この“隙間”は陽を待つ身としてはありがたい)
▼実際、日常生活の中で我々は「居間」「板の間」などの空間を表す『間』と、「間が延びる」「間が抜ける」など時間を表す『間』、さらには「間が悪い」など、その場の雰囲気を表す『間』を、実に器用に使い分けてる。
▼ひとつの言葉が、その使われ方によっていろいろな意味に変容するのは、恐らく日本語だけだろう。例えば、総選挙後「間を開けずに」オバマに訪米を打診、断られると「間が持たない」のですぐに東アジア地域を歴訪。
▼TPP議論じゃ党内の抵抗勢力に「間を合わせ」て参加には「間を置き」、いまはバラマキを批判されるのは「間が悪い」とばかりに、野党の追及には「間をとる」。なんて風に使えるわけだ。

(樹の葉の“間”からエゾフクロウがこちらを見てる。まるでウインクを送られたみたいでドキッとした)
▼だが、こうした“間”の使い方には「隙間」が生まれる。ことに外交において、前政権は「間抜け」とまで酷評されてる。中国は「間を伺う」のが上手だし、韓国は「間を測る」のが得意だ。ロシアなんか「あっという間に」4島を奪い取ったじゃないか!
▼ヒトとヒトの“間”は人間だ。人間のことを、どこの国でも国民と呼んでる。これからは、国民が本当に安心して暮らせる「時空間」を準備してくださるよう、お願いします。安部ちゃん!



★2月3日23:17頃、寝入りばなにかなり強い地震があった。寝ぼけ眼で最初に思ったのは「ストーブ、消してある!」次が「本棚抑えなきゃ!」と「津波!一族が避難に来る!」、揺れの最も激しい時間は「この寒さで外に放り出されたらヤバイ!」。
★30秒ほどで揺れが収まり、居間点検。本棚から多数の本が落下、友人画伯が贈ってくれた額も落下、ガラスが割れてる。テレビを点けたら、釧路震度5強との放送。その後各部屋点検中に友人から電話。返信したけど不通!まだ揺れの感覚の残る中で、すぐにメールを発信。暫くしてもう一度電話がかかってきて、情況を報告。
★その後「津波は心配なし」で一件落着。後は落下物の片付けのみ。無事で、やれやれ…。概ね20分間の行動報告、と同時に連絡を頂いた何人もの友人たちの友情に深く感謝!追)翌日のニュースにも地域の被害報告はなかった。ホッ!」