【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 将来、日本は「エレガンスじゃない?」


※「“エレガンス”の語源は“チョイス”です」。著書「エレガンス商品学」の冒頭でそう書いたのは、コピーライターの大先輩故西尾忠久氏だった。氏は日本クリエイティブ広告の先駆者として東京コピーライターズクラブ(TCC)殿堂入りした広告制作社界の巨魁。不肖ワタクシのボスでもある。
※ボスは「エレガンス商品学」を執筆するにあたって、通常「優雅」とか「上品」と訳されてる“エレガンス”という言葉の出身地を調べ、それが実は、“優雅村”とは別の、“選べること”村であったことに辿り着いたのである。

(かつて森進一は♪花が女か 男が蝶か♪と歌った。“エレガンス度”が高いのは、男?女?どっち?)
※ボスがこの語源調査を成果を発表すると、日頃、ウンウン言葉を捻ることに没頭する若いコピーライターたちは、まるで美味しい料理素材に出会ったかのように喜んだ。何しろ新しい言葉や概念には、すぐに飛びつきたくなる性癖の持ち主たちである。
※早速、応用、と言うより使いまわしが始まる。曰く「仕事相手を選べないのはエレガンスじゃない!」「広告主を選べないのはエレガンス
じゃない!」「タイムレコーダーを毎日押すのはエレガンスじゃない!」「既婚者はエレガンスじゃない!」

※“非エレガンス論”は延々と半年近く続き、呆れ果てたことには「既婚者でも妻にパンツを用意されるのはエレガンスじゃない!」なんてとんでもない“非エレガンス論”も飛び出してきた。面白いことば遊びだった。ボスも草葉の陰で苦笑してるだろう。
※若い頃大いに盛り上がった“エレガンスの語源=選択の自由”論だったが、最近、急に生々しく思うことがある。ガザはエレガンスだろうか?ウイグルは?北朝鮮は?そこに人類には最も大切な権利としての選択の自由はあるのだろうか?将来“エレガンス”は微笑むのだろうか?

(今年初のミヤマカラスアゲハご来訪。天候のせいか、老いたせいか、ボロボロだった。いまのガザはこんな風かもしれない)
※日本は現在、かの地の国とは違って“エレガントな国”と言ってもいいだろう。だが、将来はどうか?まさか、将来、彼の地と似たような“非エレガンス”な国にはならないとは思うが、最近何となくきな臭い匂いもしてきた。……ボス、どう思います?

★台風一過の皆さま、台風通過中の皆さま、おはようございます!コチラは只今、ホースで水を撒くようなモーレツな雨に襲われてます。
天気予報じゃ、今日の午後までにあと150ミリは降るそうです。
被害地の皆さまにお見舞い、そして自分を含めて、これから迎え撃つ皆様には、改めて警戒、注意をお願い申し上げます。それにしても、列島の殆どを巻き込む台風の巨大さには驚くばかり!人間の微力さを痛感してます。