【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 「一旦止まれっ!」

※道新1月5日の「卓上四季」は、こんな書き出しで始まっていた。『▼詩人・吉野弘さんは漢字遊びもいい。「『止』戯れ歌」はこんな作品だ。〈「歩」は「止」と「少」から出来ています/歩く動作の中に/「止まる」動作が/ほんの「少し」含まれています>。「戯れ歌」と言いながら、思わず考えさせられる。透徹した眼力だ。
▼次いで「正」と「歳」の字も「止」との組み合わせで解釈していく。どの字の意味も、「止」が入っていると知れば、さらに深みが増す感じがする。(中略)▼そう考えると、先人はいろんな言葉を残してくれた。「急がば回れ」「急いては事を仕損じる」。「好事魔多し」も性急さを戒めたものと読める。』
(雪だって色がある。時間や日差しでh変化する。青い雪だって、ある!)
※不肖ワタクシのボスは、在京時代、こんなことを言った。「『企業』や『企画』の『企』は『くわだてる』と言う意味だけど、『ひとやね』の冠の下に「止』が入ってる。つまり『くわだてる』ということは、『人が立ち止まって』考えることなんだよ。俺はそう解釈してる」
※「卓上四季」はこう続く。『▼冒頭の詩、「正」の項にはこうある。〈正しさを振りかざす御仁ほど/自分を顧みようとする資質を欠いているようです。/正義感がふえると、揉め事もふえるのはそのためです>。これを読んで(中略)「正義」にも一呼吸置く余裕が要る。自戒を込めて。』

(「雪にも百色あり」、を知る複眼的思考が必要になってきてる時代だ)
※改めて思う。我々は自分こそ「正」しいと考えがちだ。「極右」も「極左」も「過激派」も「原理主義者」も、そして「政権」も…。だ〜れも止まることを考えない。だが、漢字には深〜い真理が秘められている。日本人だからこそ読み解ける人類の在り方を「政権」には思索してほしいんだが、そりゃ無理と言うものかぁ…。