【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 キンチョーの50年っ!

※標題の50年は、つい最近ニュースをを騒がせた「日韓国交正常化50周年」の話じゃない。個人的な話だ。実はこの50年間毎日、朝晩2回、極度のキンチョーを強いられる。その原因は・・・・・・?そう、“コンタクトレンズの着脱”ですっ!
※コンタクト・レンズの装用を決めたのは、いまから丁度50年前、20歳の7月。“新しい目”を手に入れて、そりゃウレシかった。でも重大なリスクを抱えてることを思い知らされたのは、購入してきからわずか3か月後。何と取り外し時に紛失しちゃったんです!

(この草をアシタバと言う人がいる。ハクサンボウフウと思うが、自信がない。不安になる)
※ここから「キンチョーの朝晩50年」が始まる。何しろ仕送りが2万円の時代、レンズは両目で同額以上したのである。紛失しても親には再購入を頼めない。さらに、厄介なことには1度装用するとドラッグ同様、装着ナシでは精神的にとても不安定になる。
※にも拘らず、半世紀で結局25個以上紛失した。ことに「若気の至り」の頃は、1か月2個なんてこともあった。帰省の折、母親が茶碗に入れておいたのを流しちゃった、なんてこともあった。キンチョーが体質化してなかったのである。

(手前にはハシドイ、奥にはハマナス。せめぎ合ってはないけど、張り詰め気味の空気)
※不肖ワタクシの愛用はハード・レンズである。が、30年ほど前からソフト・レンズが主流になり、今じゃ使い捨ても当たり前になってる。10年ほど前には掛り付けだった「イワキメガネ」店がハードレンズの製造・販売を中止、サービスがなくなっちゃった!
※「紛失したらお終いっ!」のキンチョー感はすごいッ!だからこの8年ほどは1個も紛失してはいない。だが、このキンチョーのストレスは凄まじく、コンタクト関連の夢(10個も拾ったり、紛失してオロオロしてたり・・)を何度も見る。

(やっと見つけたウドの葉芽。紛失した筈のレンズを見つけた時のようにウレシカッタ)
※ふと思った。業界は「技術の進歩や環境の変化と言う理由」で、顧客との間に築いてきた「安心・安全・信頼」を破壊してないか?ストレスや不安を与えてないか?そしてその漠たる不安は、多数の国民が現政権に感じる不安と似たようなものじゃないか?
※はたして「アブナイカク」は「日韓国交正常化50周年」を機に、両国間の超キンチョーを解くことができるのか?植民地化した方(つまり日本)は簡単に忘れるが、植民地化された方(韓国)は100年経っても決して忘れない人間の性に、どう対応するのか?
※また、「国際的安全保障の環境が変化したから」を理由に挙げる「戦争法案」を、どこまで強引に推し進めるのか?もし有事があった際には、誰が責任を取るのか?スポーツ紙などで俗に言う「A級戦犯探し」はできるのか?できないのか?凝視したいっ!