【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

人生の宿題、日本の宿題!

※暑い日だった。中学3年一学期、社会科の最後の授業。「今日は夏休みの宿題を出します。かなり難しい問題だから、よ〜く考えて来るように。お盆の間も考える…。二学期、夏休み明けの最初の授業で答えてもらうからそのつもりで…」。松谷教諭はそう言った。
※さて、どんな問題が出たのか?「受験勉強も大変だろうけど、もしいまどこかの国が日本を攻めてきたら自分ならどうするか、を考えてきてほしい。これが宿題!」。それ以外のヒントはなかった。いま振り返っても難しい問題と言っていい。

(あの日も、教室の窓から花壇に咲くオニユリが見えた。暑い日だった)
※さて、夏休み明けの最初の授業。「宿題やってきたかい?」との問いに、教室は静まり返った。松谷教諭が皆を見回している。目が合ってしまった。思わず立ち上がってこう答えた。「戦いますっ!」教諭は「そうか」と言って続けた。「それはどうして?」。
※その時に答えた言葉を今でもきっちり覚えてる。「攻めてきたのに戦わないのは卑怯だと思うから…」。松谷教諭は「なるほど」と言った。その後の事は何も覚えちゃいない。が、「卑怯だと思うから…」の一言は、後に黒い紙魚みたいに黒く広がって行った。

(自生するオオウバユリの実(さく果)。白い花を撮れればよかったんだけど…)
※あの時、松谷教諭は何を伝えたかったんだろうか?日教組反戦教育指導があったんだろうか?ひょっとしたら「まだ軍国教育の名残が社会にありそうだ」と危惧したのかもしれない。当年15歳。若気の至りとしても、今思うだけでも赤面の至りだ。
※ただ、この夏休みの宿題はまた、人生の宿題を残してくれた。折につけ夏の教室の情景が蘇ってくる。この記憶は死ぬまで色あせることはないだろう。憲法9条を宝物と思うのは、15歳の二学期、社会科の最初の授業が原点になってるのかもしれない。


★昨日は日航ジャンボ機墜落30年だった。盆休み、山梨からの帰り途、中央高速道でヘンな赤い灯火が北へ向かってるのを見た。帰京して寿司屋のテレビで事故のことを知った。後に判明することだが、墜落したのはよく渓流釣りに行ってた神流川源流部、御巣鷹山だった。

★今日は迎え盆、明日は我がソーリが「70周年談話」を閣議決定する。すったもんだの挙句どんな談話を出すのか。……明後日は終戦忌。「終戦じゃないっ、敗戦だっ」と“終戦”を拒絶してた叔父の三回忌も、もう過ぎた。16日は送り盆。夏は忙しなく過ぎていく。

★ソーリは、果たして歴史と真摯に向き合うことができるのか?日本中が、世界中が、そして何よりもお盆で「おいでやった」大戦犠牲者、戦後70周年の“英霊たち”が……“日本の知性”を息を潜めながら見つめてる。ソーリも「日本会議」も覚悟したほうがいい。