【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

片目のダルマ

※しんちゃんは、後にも先にも1人しか見つけられなかった大親友だった。「だった」と過去形なのは、彼がすでに永眠してるからである。20年前の昨日、彼は彼岸に旅立った。49歳だった。
※彼とは会社の同じ職種(コピーライター)だった。育った環境は全く違うのに何かとウマが合った。よく「兄弟」とか「二卵性双生児」とか言われた。価値観がかなり近かったのかもしれない。

(しんちゃん、あの頃は面白かったね。フィッシングエッセイという新しい領域を開拓したね)
※彼は二歳年下にも拘らず私を「ヌマちゃん」と呼んだ。同時期に転職先の会社で出会って以来、四半世紀。殆ど毎晩一緒だった。同居人より遥かに長い時間を共有した。「ホモ」とも言われた。
※彼の名は「新次郎」。奇しくもNHKの朝ドラ「あさがきた」の夫役「白岡新次郎」と同名である。キャラクターも似てる。才をひけらかさない彼を好ましく思う人は多く、糸井重里より人気があった。
※その彼がカラダの不調を訴え始めたのは47歳時。自己免疫不全のクローン病と診断された。その後頻繁に入退院を繰り返す闘病生活が続くことになる。そして2年半後の1月31日、彼は旅立った。
※彼の通夜にはビックリポンの450人もの会葬者があった。彼の魅力、そして、夭逝した彼の才能と将来を惜しんでのことだった。その彼に、生前約束してたことがあった。未発表原稿の作品集編纂である。

(発起人会は20人。一人¥3000の寄付で2冊受け取れる。モチロンそれ以上の寄付もあった)
※彼を失った喪失感が少しづつ癒され始めた頃、一周忌の引き出物を思いたった。原稿はすべて預かってる。発起人会をつくり寄付を仰ぎながら、一周忌の引き出物(非売品)として出版した。
※タイトルは作品集に収められた「片目のダルマ」。まさに彼の人生そのもののタイトルだ。あれからもう20年かぁ…。彼との「面白かった日々」が懐かしく思いだされる。いい時代だったっ!

(しんちゃん、サクラマスが遡上する川の近くに移住したんだよ。ここで一緒に釣りしたかったなぁ)
※あんなに自由に生きた日々は、あの頃だけだったよな。午前様以外の日は殆どなかったね。土日は釣りに出かけてたし…。それでも会社を背負ってる自負があったね。しかもそれを「面白がる」ってた…。
※しんちゃん、昨日は形見のビッグマフラーを膝に掛けながら、雨の日の釣師のようにアームチェアフィッシングに浸ったよ…。釣りに入った数々の溪の光景を鮮やかに思い出した。オイラも年とったかなぁ…。