【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 [丹頂愛護会]50周年記念式典!

※「絶滅した!」と思われてた「タンチョウ」が奇跡的に釧路湿原で発見されたのは、大正13年のことだ。人跡未踏の釧路湿原が、日本を象徴する優雅な鳥の絶滅を守ったといってもいい。

(1958年、新千円札の裏に優雅な写真が採用)
※「タンチョウ物語」はここから始まる。昭和10年には天然記念物に指定。ただ、物語はそうは簡単に進まなかった。「タンチョウ」は警戒心が強く人間との接触を頑なに拒んだからである。
※1950年、第二章のドラマが…。厳寒が道東を襲ったこの冬、阿寒町で農業を営んでた山崎定次郎さんが飢えに苦しむ数羽のタンチョウを発見、トウモロコシを与えた。ここに世界初の人工給餌が始まる。

(鳴き合いで家族の絆を確かめながら上空を飛ぶ)
※その後、小中学生などを中心に冬期間給餌などの保護活動が町ぐるみの活動に発展。1966年には愛護会が発足した。そして地道な活動は全国的な支援を得るに至り、タンチョウは国の特別天然記念物となる。

(50年の活動を振り返る記念講演も開催)

(次の50年は「護る」から「共生」へ)
※発見当時10数羽だった生息数は、「丹頂愛護会」発足時には15倍の170羽。今年は何と1800羽を超えたという推測もあり、北海道各地に生息地が広がっている。タンチョウは復活したのである。

(大勢の人が「鶴の恩返し」ならぬ鶴に感謝)

※3月6日、保護活動の中心を担ってきた「丹頂愛護会」の50周年記念式典が開催された。記念誌なども発行、次の50年は『「護る」から「共生」へ』〜保護活動は新しい50年へ〜と謳われた。
※別の問題も出て来た。1㎢ほどのテリトリーを持つタンチョウは、釧路湿原だけでは住宅難となっている。また、交通事故や鳥インフル問題も難題である。

※だが、たった一人から始まった保護活動は、ついに絶滅種を絶滅から救ったのである。こういう活動こそ、我々日本人が誇るべきものだろう。「戦争のできるフツーの国」となるのは誇りじゃないはずだっ!

(丹頂音頭の歌と舞)


(当日配布された50周年記念誌(編集に参加した)と式次第)





★昨日は部分日食だった。日本列島ではあまり見ることができなかったようだが、釧路では7%欠けた日食がバッチリ見えた。体験した幼稚園の生徒たちは「楽しかったぁ〜」。

★今日は東京大空襲の日だ。71年前のこの日、東京だけで10万人の犠牲者が出たという。在京時代は必ず、新宿三丁目のある飲み屋で「水団」を食べて惨禍を偲んだ。

★明日は3.11。あの日から5年目を迎える。まるで先刻のことのように記憶が鮮明だ。「政権の1丁目1番地」なんてチャラチャラ口先でパフォーマンスだけするんじゃなく、本心から腰据えて人々に寄り添えやッ、「アベ組長っ」!