【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

生か、それとも死かっ?


※苦渋の決断を迫られた。庭にあるオンコ(イチイ)の木が4本、赤茶けて枯れ始めたのである。何がいけなかったんだろう。つい先日までは極寒に耐えてたのに…。

※オンコの枝が赤茶けるのはよくあることだ。もう少し様子を見るべきか、それとも以前のように荒療治を試みるべきか?3日ほど迷ったが、半分に荒療治を施すことにした。


※と言うのも、過去に野戦病院のような荒療治で再生に成功した樹が何本もあったからだ。その成功例を信じて、緑の葉がかろうじて残る枝を残し、幹を切断した。
※果たして蘇ってくれるだろうか?それとも死んじゃうんだろうか…。太いほうの樹の切り口を見て愕然とした。直径9cm。年輪は・・・なんと29本!あった。29年も生きてるんだっ!

※荒療治でよかったのか?29年も癒しを与え続けてくれた樹を、こんなに簡単に切断しちゃって良かったのかっ?折りしも周辺には春の生命が溢れ始めてる!「生と死」の谷間。


※ふと、この国の三権分立も「生と死」の谷間にあると思った。行政だけが固い殻を被ったカブトガニように動き回り、「立法」「行政」は、「忖度」に明け暮れてる。
※ことに司法は磯焼け状態である。実は明治憲法では、最高裁判所は司法省の管轄下にあった。新憲法はここから独立、独自の憲法判断を行えるようになったが、明治憲法下で育った裁判官たちはそのまま残った。つまり仕組みは独立でも、心は自立してなかった訳である。
※新憲法から3年で司法は迷走を始める。改憲の動きが早くも出てきたのである。再軍備の話もこの頃から始まった。司法は希望に燃える若手裁判官と保守裁判官たちの闘争が始まる。
※59年、司法は砂川事件憲法判断を放棄した。69年、石田和人の最高裁長官就任で司法は昭和の分水嶺を迎える。その後の流れはご存知の通りである。司法は独立を失った。

※荒療治は、29年もの命を絶ち切っちゃうのか?それともそのまま放っておいて死滅しちゃうのか?奇跡的が起きるのか?・・・「司法」についてはこのまま放っておけば、死滅するに違いないっ!
★そろそろ苦渋の決断をしなくちゃならない!