【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 「オトナ」への脱皮!

※未だに「オトナ」という概念がよく理解できてないっ!が、誰にでも体験があるように、自分にも「オレは大人になったっ!」と痛烈に実感したことが二度ほどあった!
※一度めは中学2年の時。故郷の信州小布施は栗とリンゴの産地である。生栗やリンゴは子供達のおやつだった。リンゴなどは日に10個近くも皮を剥かずにかぶりついたものだ。
※ただ、時には母親がやってたように皮を剥いて上品に食べてみたかった。ある日、挑戦してみる。が、包丁をうまく使えない。また挑戦してみる。皮は幾つにも分断される。

(昔のほうが上手かったかも。皮を少し残す方が美味そう、とは同居人に教わった)
※挑戦、挑戦、挑戦…。そしてある日っ!「できたっ!」皮が繋がって丸ごと剥けたのである。その瞬間、子供からオトナへと脱皮したことを脳の芯で感じた。
※二度めは高校入学時だ。義兄から腕時計をプレゼントされた。セイコーだった。それを手首に捲いた時、旋風が湧き上がった。腕からオトナの風がカラダを駆け巡ったのである。
※この二度の強烈な体験は「オトナ」を実感するに有り余るものだった。その後、少年は大した感慨もなく社会人としての「オトナ」になる。感慨のない日々は長い間続いた。
※目覚めたのは小さな会社のトップになってからのことである。『自分の肩に80人の人生がかかってる!チョッとした判断ミスが80人を路頭に迷わせることになるっ!』
※「オトナ」に脱皮しなくっちゃっ!中年になった少年は、それは360°見回す「複眼思考」と考えるに至った。「清濁併せ呑む」「無駄に戦わない」「他人の身になってみる」。

干し柿づくりも、オトナへの道だった。去年の暮れ、久し振りにやってみた)
※それがいいかどうかはワカラナイ。が、少なくともトランプ政権の暴露本「FIRE AND FURY」(炎と怒り)に記されてるような「両手で耳を塞ぐ子供のよう」じゃなかったと思う。
金正恩の挑発に「オイラの核ボタンのほうがオメ―のよりでかいし、性能も上だ!」と遣り返すほど、子供っぽい反応はしなかったと思う。しかもこの男、米国の分断を煽ってるっ!
※その意味じゃわが日本のシンゾーも同じ体質だ。この「コドモ男」に揉み手をし、一方じゃ国民、市民、人民の言葉に耳を傾けることなく、憲法9条の廃棄に向けて暴走する!
※トランプとシンゾーが「オトナへの脱皮」を果たす日は来るのかっ?絶望的であることは間違いないだろう…。