【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 御年150歳の同期生!

※1868年7月17日、明治政府によって二つの地域が生まれ替わった。いや、正しく言えば、新しく命名された。「東京」と「北海道」である。この日から「お江戸」は「東京」と。「蝦夷地」は「北海道」と呼ばれるようになった。言ってみれば両者は、地域は違うけど同期生なのである。
※ネーミングに関して言えば「東京」は「西の都」に対しての「東の都」。地政学的な点から当然なるべくしてなったわけだが、「北海道」に関しては地政学的側面だけではないようだ。

(ミヤママタタビ。葉の半分がピンクになる。フシギだ。猫に試したことはまだない)



(恒例の夏紅葉。葉の成長に葉緑素が行き渡らないことから夏に紅葉)

※「北海道」の名付け親と言われている「松浦武四郎」は、開拓使時代に原住民のアイヌと交流を深め、アイヌ語と彼らの生き様を深〜く理解していくようになる。武四郎の制作した地図にはアイヌ語の地名がビッシリと書かれている。そして「カイ」という言葉に出会うことになる。


(阿寒本町。1887年阿寒郡戸長役場設立。1937年阿寒村へ。まだ130年)

※「カイ」とはアイヌ語で『カムイ(神)から与えられたすべてのもの』を意味するらしい。武四郎は、それを日本語では「故郷」を表わすと理解し、漢字の「加伊」に置き替えた
※政府に「蝦夷」に代わるネーミングを求められた時、彼は建白書に「北加伊道」を筆頭に「海北道」「日高道」「東北道」など、6案を提示したと言われる。

※政府は「北加伊道」をベースに検討を加え、当時定着していた「道東海道」「西海道」などとの整合性を重視し、最終的に「北海道」としたのだという。
※コピーライターとしては、ネーミングは“顔”であり“思想・哲学”であると考えている。「加伊」が「海」に変えられてしまった武四郎の無念さに想いが至る。


(この150年の間、どの遺伝子が残ってきたのか・・・お気楽だねぇ)

※いずれにせよ、「北海道」命名150年。「東京」も命名150年。同級生の共通するものと言えば激変の150年だったといえよう。さて、政権はこの150年をどう考えてるだろう。

※いや、自分がそのうちの3分の1以上生きてるなんて・・・な〜んも考えてないだろうなぁ。目の前の野心と支配欲だけだけだから・・・。