【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

「コロナ禍の新しい遊び」

※二度めの緊急事態宣言が出て、感染者数は減少傾向にある。ただ、欧米中のようなロックダウンではなく、「お国」からのお願だけなのに、数字的にははっきりした効果が認められるんだから、相変わらず「お上に従う日本人」という苦い思いもある。

 

※そんな中、新しい新しい楽しみを見付けた。ひとつは、Walking。もうひとつは、愛猫とのニューコミュニケーションだ。Walkingでは、特別天然記念物のタンチョウの生態を間近で見る。愛猫とのニューコミュニケーションでは、飼い主が猫目線になる。

 

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(タンチョウ一家。真ん中の首の色が薄い個体が幼鳥.彼らもサバイバルで一生懸命)

 

※実感するのは改めて人間は動物の一部ということだ。一番増えてしまった動物の一種に過ぎない。では、ウイルスは動物なのか、それとも菌なのか?素朴な疑問が湧いてくる。辞書には「遺伝情報を担う核酸とそれを囲むカプシドからなる微粒子」とあった。

 

※なんのこっちゃ?だが、感染だけが目的でサバイバルしてるんだから、生き物には違いあるまい。そのコロナの活動を抑え込む意味で、メディアでは「収束」と「終息」、両方の感じが使われてる。一体どっちなんだ?

 

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(道の真ん中を悠々と。トラックも車も彼らが通りすぎるのを待つしかない)

 

広辞苑には、「収束」:おさまりをつけること。「終息」:事が終わっておさまること、とある。いうれも似たようなもんだが、「収束」は数学や心理学で使われることがあるという。どっちにせよ、「ゼロ」になることはなさそうだ。

 

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(隠れ家の箱の中から手だけで攻撃するクルル。カンだけ。獲物は見てはいない)

 

※人類はこれから「コロナ禍のもとでの新しい習慣や遊び、これまでにないコミュニケーション方法や医療体制」を見付けていかなければなるまい。自分は、そのひとつのテクニックを発見したと思っている。