【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

「緑陰の闇」

 

※七十二候で言うと、6月10日頃は『腐草為螢(くされたるくさほたるとなる)』(草の中から蛍が舞い、光を放ち始める頃。昔は、腐った草が蛍になると考えられていた)となるらしい。なるほど。

 

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 (真っ青な空に伸びる鬼グルミの幼木)

 

※が、蛍と言えば夏の真っ盛り。8月のイメージしかない。ことに当地では蛍は生息してないので、違和感は一層強い。違和感はそれだけじゃない。歳時記に掲載されてる季語も違和感たっぷりだ。例えば「薫風」。本州在住の頃は5月初め、鯉幟の頃の薫る風だったのに、当地では、”いま”がピッタリ感。

 

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※「風光る」や「山笑ふ」などの春の季語も、”いま”がピッタリ感・・・これは自分の感覚がおかしいんだろうか?それとも季語が定着し始めた江戸時代、北海道は蝦夷地であり、日本の気候の勘定に入ってなかったせいだろうか?「緑陰」の闇、だ。

 

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(遅れてやってきたコゴミと思ったが、ゼンマイのようだ)

 

※政府がオリパラに向けて驀進してる。感染症対策分科会の警告を「自主的な発表」として聞く耳を持たない構えだ。どういう感染症対策をするのか未だに発表してない。南北の辺境「沖縄」と「北海道」が、医療崩壊の不安な毎日を過ごしてるのに、だ。

 

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 (何の野草か分らない。楚々とした風情がたまらなく好き)

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(一面、綿毛となったタンポポ。遺伝子を風に任せて飛び立つのを待ってる)

 

※政府(ことに「スカ」)には、一般国民の不安な感情は、勘定に入って無いんだろうか?不安の解消こそが精神衛生上最も有効な手段なのに・・・。それとも地域差や分断を無視しても、「ぼったくり男爵」に尻尾を振るんだろうか?「緑陰」の闇だ!