【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

「倹約と、節約と」

(今年もタイツリソウが咲いてくれた。ありがたや)

 

※貧乏だった。「倹約しなさい」が母親の口癖だった。そりゃそうだ。疎開先で結核の夫と二人の子を抱え、夫の希望退職金だけで生活してたんだから、貧乏は当たり前だ。が、不思議と我が家が貧乏だとは思わなかった。周囲が同じように貧乏だったからだ。

 

ヤマブドウの生命力に驚く。去年の切り株からまた芽が出てきてくれた)

 

※ある時、「倹約」の外に「節約」という似た言葉があるのを知った。何が違うんかいな、子供の頭じゃ難解だ。後になって「倹約」は出金を減らすこと、「節約」は金とモノ両方の無駄を省くことらしいことが分かった。「節約」のほうが概念が広いようだ。

 

(「パン焼き器」が届いてから、ほぼ毎日研究にいそしんでいる)

 

※同居人が盛んに「節約」を口にするようになった。物価上昇が脅威のようだ。姉から貰った「パン焼き機」にハマってる。「これでパンを買わなくて済む」。確かに・・。昨日は、サダさんが、「クレソン食べるかい」と置いていった。助かる。

 

(山ウドの酢味噌和えやら、キンピラ、ミツバのお浸し、ほかに天婦羅もあった)



※ガカマダムは野生のミツバを持ってきてくれるし、サトばーちゃんは採りたての「山ウド」を「食べな」と持ってきてくれた。ありがたや、だ。生活費が節約できる。電気代を「倹約」できる。だが、気がかりなのはそれらの山菜が「減ってきてる」ことだ。

 

(出たての山ウド。サトばーちゃんはどこで採ったのかは、教えてくれない。秘密の場所なのだ)

 

※「スコップで根っこを掘り起こして持ってっちまう。自分の庭に移植するんだ」。サトばーちゃんは憤る。「ショーバイにしてる奴もいるんだ」。あ~あ、皆の「全部は採らない山菜持続志向」が水泡に帰しちゃう。SDGsを訴える高校生たちが泣いてる。

 

★今気が付いたんだが、同居人のパン作りは電気代「倹約」にはならなそうだ。パンは買ったほうが安いと思う。でもこれはだけはケチっちゃいかん。何しろ「女房元気で好き勝手がいい」。話は違うが、ウクライナ兵とロシア兵の食事を比較する番組があった。ウクライナ兵のほうが断然上。士気に差があるのは当然だ。