【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 「秋143」!

※『(平安時代から「お題」という形で「和歌」の世界にあった)季題に一つの重要な理解が加わったのは、松尾芭蕉によってです。芭蕉は「季題(後に季語)は人間と自然の間を結ぶキーワードだ」と言いました』(「俳句の作り方が面白いほどわかる本」金子兜太 中経の文庫)
※『季題を通じて、冬の山野や天気の変化、そこに生きている生き物たち、そういうものへの共感を深めていく、そこまで季題を通じて踏み込まなければいけないと芭蕉は考えたのです。』(同書)

(コスモスと紫陽花が一緒に咲いてる! ・あぢさゐの一角を切り取ってくる  坂本光代)
芭蕉にとっては「暮らしの初めに季語ありき」ということになるが、さて現代人はどうか?標題の「秋143」は何の数字かお分かりになりますか?そうです、歳時記で調べた「秋」のつく季語です!季節の味わいのわずかな違いを秋だけでも143もテイスティングしてる!
※味にうるさい現代人でも、これほどの鋭い味覚は恐らくないでしょう。夏の終わりと秋の入り口の今の季節。軒下を借りるのは夏か、秋か?そのビミョーな選択の感覚は、間違いなく現代の日本人では捉えきれまい。
※阿寒ではいま、本州じゃ梅雨の代表花として知られる紫陽花がコスモスに交じって咲いている。そうかと思うと秋の季語の「鬼胡桃」が、はちきれんばかりに実り始めた。季語は「夏惜しむ」か?「秋めく」か?

(近くに棲むシマリスは歯が立つだろか? ・夜の雨に胡桃の落ちる音しきり  畑みどり)
※歳時記の例題句にこんな秀句が載っていた。
★「夏惜しむ」(大変な夏だったが終わると、何やら寂しい感じ) 
   ・中村屋インドカリーに夏惜しむ  (豊田まつり)
★「秋めく」 (暑さの中にも日一日と秋の気配が深くなる感じ) 
   ・秋めくや水音水を離れくる    (富山苔石)
※日本もビミョーな季節を迎えてる。はて、秋に寄るべきか?夏に寄るべきか?国民の選択や如何に?