【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

「"Walking”から"散歩”へ」

※春の足音が軽やかに、だが猛烈なスピードでやってきた。最高気温は10℃を超える日も出てきた。こうなると歩きたくなるのが人情というものだ。「10カ月ぶりにWalkingしようか」と、家を出た。が、愕然とする。以前の様にスタスタとは歩けない!

 

(柳の木が緑の靄がかかったようになり始めた。後ろの雌阿寒岳にはまだ雪が・・)

 

※一体以前はどのくらい歩けてたのか?気になって在京時代の「Walking日誌」を開いてみた。と、そこには驚愕の数字が並んでた。毎土曜日18日間平均の歩行距離はほぼ8km。平均時速6Km。平均歩幅76cm。24年前の話だ。今とは比較にならない。

(2000年9月の「Walking日誌」必死で歩いていたようだ。ダイエット目的?)

 

※「スタンプラリーのようなウォーキング協会の有様」を批判してたにも拘らず、自らも「大股」「速歩」、ひたすらゴールを目指してた姿が明かになった。やれやれ・・そう、今の自分の歩きは、Warkingではなく此方の人が言う「散歩」だったのだ。

 

※「散歩」なら、他の世界が見えてくる。先ず、歩行距離はその日の調子任せ。時間も速さも気にしない。道草や撮影も気分次第。季節の風を味わいながら、小鳥や野生動物との出会いも大切だ。そうか、これから暫くは馴染みの鶯もガイドしてくれる。

 

(ゆったり「Aruku」と道端のアイヌネギ(ギョウジャニンニク)の赤ちゃんなども見つかる)

 

※というワケで最近は天気の良い日だけ出陣。往復1~2km程。30分~60分ほどを「あいうべ体操」や俳句などを考えながら、ゆったり「Aruku」。いまの季節は啄木の詠んだ「故郷の柳青める北上の~」と同じなんだなぁ・・・一時、社会を忘れる幸せ。