【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 「チョボラ」!

3.11(なんと9.11の半年前だ!)釧路も津波に襲われた。2mだったと言うが4mだったという話もある。

(30km程先にかすむ釧路の街並み、ここに津波が押し寄せ水浸しにした)
この5日間、NHKはほぼ24時間、HBC(TBS系)など民放も、放送時間の殆どを東北大震災の報道に当ててた。さすがに企業のCMはほとんど流していない。
当たり前だ。タレントがニッコリ笑って「ホワイトデーのお返しは○○ギフト卷がグーッ!」なんてやってたら、視聴者の激怒を買うだけだ。
代わりに流れてたのが、“〜民間の広告ネットワーク 公共広告機構AC〜”の公共広告。こうした緊急時に備えて、いろんな社会テーマを用意してあるのだろう。北海道で制作したと思えるものもあった。それが膨大な量、放映される。
「CM枠はいつもこんなにあったんだっけ?」量の多さに驚くと同時に、尾てい骨のあたりをマグマが押しあがってくる。「ボランティアに行かねば!」
(白糠・道の駅恋問館(こいといかん)前に広がる太平洋。水平線の先は青森)
思えば、この4日間外に出てなかった。思い切って津波海岸を見に行くことにした。海は落ち着いてた。だが、まだまだ不穏の色を隠してる。
5日前、この海は史上最大規模のストレス解消エネルギーで関東・東北・北海道の太平洋沿岸を呑み込んだ。いまもまだ間歇的にストレスを吐き出してる。
しかも、取材の仕事で建屋内の格納容器まで入った福島原発は、背筋が寒くなるような事態を引き起こしてる。こちらは、津波を過小評価したツケ、人災かもしれない。

(釧路への国道38号線白糠(しらぬか)付近。海抜4mほどしかない)
「ボランティアかぁ?持病が活動期なのに、行って何ができる?神経痛や関節痛だって起きてるじゃないか?」足手まといになったり、却って迷惑をかける結果になるやも知れぬ・・。
海を見てるとあれほど恐怖と嫌悪を抱いた海が、フシギと落ち着きを与えてくれるような気してきた。
「“オオボラ(おおいにボランティア)”はとりあえずやめよう。また機会があるだろう。とりあえず“チョボラ(ちょっとしたボランティア)”をしよう」。
義捐金を出すもよし、被災者の友人の話を聞いてあげるもよし、それがいま、自分にできることだ!少しキモチが落ち着いた。
そうだ、考えてみたら“チョボラ”は以前、ACのCMで覚えた言葉だった。何だかやるせないけど、“チョボラ”という言葉はいまの気持を救ってくれる!
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