【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

“タンチョウ”な暮らし

2008年、年初め。自然の神様がくれたお年玉かどうかは分らないが、
予期せぬことが起こった。
何と、特別天然記念物の丹頂鶴が拙宅に飛来したのである。
賓客は、道路から抜き足、差し足、忍び足でゆっくり庭に入ってきた。
赤いベレー帽を被った親鳥2羽、まだ頭の茶色い子が2羽。
親子は絶え間なく周囲を警戒しつつ、
ゆっくりと餌を啄みながら移動する。
その距離20m。最接近時には5mまで近づいた。手が届きそうだ。
勿論、手を出せるわけはない。
一本の棒と化し、息をひそめてその光景を凝視していた。
彼らは拙宅をぐるりと一周すると、悠然と隣の空き地へ移動していった。
その間20分。なんとも贅沢で、至福な時間だった。
後日知人にその話をすると、「餌付けできる」と言われた。
だが、と思う。最近、新設の電線などに引っ掛かって
命を落とすタンチョウも多いらしい。
「狭い庭じゃ餌付けなどしちゃいけない」「彼らを見るだけでいい」。
それにしても贅沢だった。都会には贅沢が山ほどある。
が、地域の動植物に混じって暮らすという贅沢は、あまりあるまい。
単調な生活を「タンチョウな暮らし」に変えてくれた来訪だった。
ここには、環境問題の根っこがあるんじゃないか?