【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

  国道246号線と240号線

在京中は渋谷区三軒茶屋に寝泊りしてる。国道246号線<通称:ニーヨンロク>のすぐ傍だ。かつては「大山往還」とも言われたこの国道は、千代田区三宅坂を起点に、終点神奈川県沼津市まで総距離122.7km、1956年に国道指定された。我々はかつてアメリカの大動脈だった「ルート66“シックスティ・シックス”」をもじって、「ルート“ツー・フォー・シックス”」と呼んでる。
一方、阿寒の住居は国道240号線<通称:マリモ国道>のすぐ傍である。“ニー・ヨン・マル”は釧路市大楽毛(オタノシケ)から阿寒湖を越えて網走まで、総距離149.0km、二級国道に指定されたのは1953年である。
それがどうした?と言われると、「いやぁ、どうって事はないのだけどさ」と答えるしかないのだが、何だか妙に関連づけたくなるのである。それと同時に、どちらかを優位づけたくもある。
大体、妙じゃないか!二拠点生活居留地が800km超離れてるのに、国道の番号線が似たり寄ったり、つまり240番代だ。さらに、阿寒の近辺には弟子屈(てしかが)と帯広を結ぶ241号線(総距離162.5km)や244号線(網走→根室、総距離143.5km)なんてのもある。
こりゃ決して偶然じゃあるまい。北海道の開発、それも大戦後の昭和大開発が、この頃本格的に始まったのじゃなかろうか?それ以前につくられた“大正道路”などは国道には昇格していないのである。
で、だ。真実は後から阿寒図書館で調べることにして、阿寒のあたりは、三軒茶屋と同じ頃盛んに開発された!と思うことに決めた。
「な〜んだ!今をときめく三茶も大した事ないじゃん!その証拠に、“マリモ国道”のほうが”ニー・ヨン・ロク”より先に国道指定されたじゃないか!オレは三茶だ!と威張ってる場合じゃないよ、ムッチー、三茶も阿寒並みに遅れて開発された。かつては農地だったわけさ」
それにしても二拠点が国道で関連性を見出せたことは、何かシンクロニシティ(必然的な偶然)を感じる。言ってみれば天の配剤だ。
「それで、どちらに優位付けをしたいの」だって?ウフッ、まあいいじゃない。