【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 「牛に馬を乗り換える」!

※早朝。一本道を一列の乳牛たちがやってくる。その数、30数頭。まるで大名行列ならぬ“大牛行列”である。引率する人間がいるわけじゃない。特別なリーダーがいるとも思えない。が、彼らは行き先を知ってる。

(「猛牛」や「闘牛」と違って「乳牛」は穏やかだ。牛舎に帰る行列もあったがカメラ不携帯で撮れなかった)
※彼らは毎朝、牛舎から牧草地へと放牧される。一日中牧草地で過ごし、夕方牛舎へと戻される。夏場、毎日繰り返される日課が、彼らに生活習慣を定着させた。だから、彼らが朝めざす目的地は、牧草地なのである。

(それにしても何だか平和な光景だ。陽射しの強い日は、流石に日陰が押し合いへしあいになる)
※行列は急がず、焦らずゆったりした歩み。約400m程を粛々と進む。中には時々、道草を食う奴もいる。極端に足が遅い奴もいる。だが、大した混乱もなく目的地に着き、思い思いの場所に散っていく。
※「角を矯めて牛を殺す」など、牛に関する諺は結構多い。だが最も頻繁に使われるのは“牛歩”だろう。牛の歩みののろいことから、進歩や発展の遅いことに例えられるこの諺。愚鈍の象徴のように使われるのだが…。

(この日先頭を歩いてた牛。毎日ということじゃないらしい。行列の全頭が妊娠中の♀。争いごとは少ない)
参院選は下馬評どおり自民党の圧勝で終わった。与党の思惑どおり“ねじれ”は解消した。しかし、圧勝した政権は、往々にしてゴーマン極まりない暴走族になることが多い。手に負えない暴れ馬になる可能性がある。
※それでなくともゴーマン、性急、タカ派のアベチャンのことだ。山積する課題を近視眼的、独断的に暴走しかねない。日本は潰れてしまうことにならないだろうか。この際「牛に馬を乗り換える」ぐらい愚鈍になってもいいんじゃないか?と愚者は考えるんだが…。