【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

アメリカ型“喧騒”と田舎の“喧騒”

窓の外を白い浮遊物体が粉雪が降るように大量に飛んでいる。何か?実はタンポポの種である。
“喧騒”という言葉は、都会だけのためにあるわけじゃない。
今の季節、阿寒みたいな田舎でも実に“喧騒”に満ちている。
それは、カッコウの声だったり子育てのカラスの喚く声、クマゲラが木をつつく音や、土鳩の声、ウグイスや山鳩の鳴き声だったりする。鳥だけじゃない。
前述した地表を白く染めて飛ぶタンポポだったり、飛び交う蜂、チョウチョ、忙しく歩き回る蜘蛛や蟻の類、はては山ダニだって飛び回る。蕗、山ウド、コゴミ、タラの芽は満を持し芽を伸ばし、
それらを採取する人の、弾む声。時折遠くでは牛の諦き声が聞こえ、馬だって黙っちゃいない。
草刈機の音が聞こえると思えば、トラックや乗用車の音、トラクターも音だけが移動する。
ともかく、これ以上ない“喧騒”に満ちているのだ。
だがそれは、生の鼓動を感じさせてくれる“喧騒”だ。人に優しい“喧騒”だ。
最近、金融資本主義は正しかったのか?という単に都会が生み出すものとはまた別種の“喧騒”が持ち上がっている。
そんな“喧騒”真っ平ゴメンだ!コチラの“喧騒”だけは、体に悪い。心に悪い、聞きたくない!全うな“喧騒”の中に身をゆだねてる人たちだったら耳を塞ぐはずだ。