【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

カラスの“テリ鳥ー”

「クソーッ!」と思う。家の裏手に回ると、必ず「カア、カア」と攻撃的な鳴き声が聞こえ、カラスが飛んでくる。
『見上ぐれば 去年のカラスの巣に 烏』というわけじゃない。
どうやら中学のグラウンドにある白樺並木から来るらしい。
飛んできたカラスは、頭上わずか2〜3mの樹上に停まり、威嚇体勢をとる。
まずは、やくざのような眼つけ。続いて街宣車も舌を巻く大音量の鳴き声脅し作戦。そして、葉っぱをちぎっては落とす葉っぱ爆弾作戦に、糞尿爆弾作戦。最後は嘴によるミサイル口撃だ。
しかし、どこでコチラの行動をチェックしてるのか?まるで監視社会に身を預けたような気になる。
一羽で不十分と見るや、ツガイになる。数を頼めば優位なことを知ってるなんざあ、民主主義の欠陥を実に巧妙に利用してるようだ。
さすがにこうなると、不気味さで鳥肌が立ってくる。ヒッチコックの“鳥”を思い出せば、恐怖がお分かりいただけるだろう。正直、怖くて鳥肌(シャレではなく)が立つ。勿論、ヤツラの巣が何処かにあるには違いない。それは何処か?
悔しいのはヤツラが、先住権を盾に取り、「ワシラが“テリ鳥ー”ぞよ!」とばかり、主張を繰り返すことだ。「一体オレが、キミらに何をした?畑仕事をしてるだけじゃないか。口撃は納得いかん!大体、ココはオレの土地じゃないか!」。
そう力んでみるのだが、カラスごときに対抗してる自分が、情けなくなってくる。しかし、だ。考えてみればこれは、生きとし生ける者すべてに言える、最大の重要テーマではないか?人類と、動物然り、動物と植物然り、植物と微生物然り・・・。こりゃあ、環境問題の根本だ。もうチョッと社会的にするなら、先住民族と後発民族、国と国、さらには人間と人間・・・。こりゃ、今世界中が抱えてる難問ばかりじゃないか。
そうだ、もろもろ考えると、この不合理さには、生と言うものの“業”を感じる。一体生きてるってことは何なのか。カラスに訊いても「そんなこと知るカア」と言うばかりだ。う〜ん、“業”、ねえ。
イヤハヤ、迷走の時間になっちまった。