【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

復旧・復元!

人間に「100年の計を立てよ!」と言ってもムリなのかもしれない。というのも自然は人間よりも遥かに長いサイクルで活動し、時には人間よりも遥かに激しく変動するからだ。
東京23区がすっぽり入る釧路湿原は、4000〜3000年前に海底から浮上していまの湿原になった。明治以降、人々はこの釧路湿原という“土地”を、何とか人間生活に有効活用できないかと考えてきた。「100年の計」である。
昭和初期、「中心を蛇行して流れる釧路川を、堤防で直線化して、湿原を埋立てれば畑や宅地が出来るじゃないか。氾濫も減る」。当時、幅を利かせてた経済優先・効率主義を国は採用した。

(蛇行する釧路川
そこで、巨費を投じて工事が行われ、1931年、まっすぐ下流に向かって流れる新釧路川に水が通った。確かに計画は成功したと思えた。氾濫が減り、牧草地や宅地が開発され、産業は潤ったのである。
だが、1980年ラムサール条約が結ばれ、生物の多様性など、効率主義に「?」が付くようになると情況は変わってきた。
経済優先、効率主義は、巡り巡って人類自らの首を絞めていくことが段々分かってきたからである。
釧路湿原で言えば、湿原植物の代名詞であるヨシが1977年から6割以上も激減し、乾燥のシンボルであるハンノキ林が激増。生息する動植物の多様性もドンドン失われていることが判明した。
「このままでは、湿原がアブナイ!生物多様性がアブナイ!生活がアブナイ!」
(氾濫する釧路川
調査の結果、1980年に直線化した茅沼(かやぬま)地区は、旧河川跡が少しく残っており、復元が可能であるとの結論がでた。そこで、何と直線化した新釧路川を埋め戻し、再び蛇行する旧釧路川の再現、復元工事が進められることになった。
そして、一昨年、河口から32km付近、茅沼地区の2km区間は旧河川の蛇行が復活し、昨年は直線化部分の埋め直しが終わった。植物の復活は目覚しく、すでに昨年の時点でヨシは大量に繁殖を始めた。野生の多様性も目に見えるスピードで復活してるという。
(直線ではなく蛇行が蘇った釧路川
それにしても、バカをやったものだ。巨費を投じて開発し、巨費を投じて元に戻す。この始末、何だか「フクシマ」の原発災害に似てないか?
振り返ってみると人類は自然を捻じ曲げることで500万年もの間、生き延びてきた。その構図は人類の効率主義が破壊されない限り、永遠に変わらないのかもしれない。
「100年の計を立てる」のがムリだとすれば人類は、絶対的な矛盾の中でどう生きるのか?どう死んでいくのか?をいま、小手先でじゃなく、腰を据えて考えなきゃならない。その覚悟が問われてる。
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