【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 “縄文DNA”!

▼信州小布施から山田温泉に登っていく途中に、「蕨平」という地名の村落があって、子供の頃、よく近所のオジサンや母親に連れられてワラビ採りに行った。足は自転車やバスだった。

▼山菜の王様が「タラノメ」だとすると、「ワラビ」と「ウド」は間違いなく飛車角と言っていい。「アイヌネギ」は金将、「コゴミ」や「フキノトウ」に至っては桂馬に格落ちする。そのランキングは供給量の多寡と美味しさに由来する。
▼自分の中では、ワラビは飛車である。恐らく子供の頃から馴染みの深いせいだろう、地面や藪の中から茶色い巻き毛の頭がチョンと出てるのを見つけると、もうそれだけで、アドレナリンがドッと吹き出し、満足ホルモンのドーパミンが駆け巡るのが分かる。まさに、天下を獲ったような無上の歓喜が尾てい骨のあたりから駆け上がってくるのである。

▼「この突き上げるような歓喜は何で起きるのか?」そう言えば、ヤマメの大物を獲り込む時にも同じ感覚がある!
「これって、もしかしたら……………“縄文DNA”なんじゃないか?」
▼いやぁ、そうに違いない!何100万個もの縄文人のDNAが現代人に伝えられ、それが当時と同じように現代人を突き動かしている。そう考えると何だか感動的でさえある。何しろ1万6500年、825世代変わっても、狩猟・採取の歓喜DNAは消滅せずに残っている…。もっと言えば、それは人類500万年、25,000世代のDNAかも知れん。
▼「進化とは所詮、そんなもんよ、シーラカンスを見てごらん、三億年も進化してない!」う〜む、今更ながら生きモノの奥は深い…。