【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

丑年の牛!

この3日ほど、日中は暖かい。今朝も、午前11時、2℃。年末の雪は解けてきたし、天気はいい。
「久しぶりに歩くかぁ、そうだ!今年は丑年だから、牛に挨拶して来るのもいいな」というわけで、11:30家を出る。10分も歩けば牧場だ。
「いる!いる!」。仔牛が囲いの中でウジャウジャ寝てる。「おーい!」名前を知らないから、掛け声で呼び起こすと、一斉に起き上がって柵の近くに寄って来た。好奇心いっぱいの目でコチラを観察してる。まるで、電線の雀、窓に並ぶ小学生のようだ。「ハイ、ハイ、今年もヨロシクね!」パチリ!
牛は「牛歩」に代表されるように鈍重な家畜と思われてるが、実際はかなりナイーブな家畜なのだそうだ。

だから飼い方によっては、オドオド萎縮してココロの病気になってしまう者もいるらしい。
酪農家は餌を与えるだけじゃなく、愛情も与えなきゃならない。カラダの手入れや病気の管理だけじゃなく、時にはカウンセリングもしなきゃならない。牛は気難しい家畜なのだ。
もっとも仔牛は違う。反応は素速く、好奇心旺盛、ツブラな瞳でジッと見つめてくる。人間の幼児と同じようでもあり、何だか愛おしい。
だが、彼らの行く先を考えると可愛いとばかり言ってらんない。彼らはこれから別々の農場に売られて行き、成長と同時に何年もの間、人サマのために乳を出し、やがて肉となって人サマに奉仕するのだ。その意味じゃ、人類は“業”が深い。
そう言えばアメリカの証券界では、上げ相場のことをブル(雄牛)と言うそうだ。マネックス証券の正月広告では「今年は丑(ブル)の年です」というキャッチフレーズが掲載されてた。う〜ん…。
「バイ、バイ」別れを告げて100m近く、振り返ると仔牛はまだ皆コチラを見てる。少し凹んで帰ってきた。