3.11からすでに4週間が過ぎようとしてる。
なのに制御不能に陥った原発の暴走恐怖はまだ収まる気配もないし、壊滅状態の町はそのまま無残な姿を曝してる。
だが、本格的な春を迎えて被害報道ばかりだったマスメディアもようやく、復旧、復興のニュースを報道し始めた。
ことに目立つのはミュージシャン達の慰問報道だ。打ちひしがれた被災者達が再度立ち上がるためには、欠かせない栄養素なのかもしれない。
(1月からつけてた小さな綿毛がようやく大きく膨らみ始めた)
慰問のミュージシャン達が最後に演奏するのは大抵、小学校唱歌♪ふるさと♪だ。そして多くの人が涙を流しながら合唱する。
もしかしたら、♪ふるさと♪は、年代、地域を超えた日本人の「ココロのふるさと」として、血となってしまったのかもしれない。
♪ふるさと♪は、1914年(大正3年)、尋常小学唱歌として『作詞:高野辰之 作曲:岡野貞一』のコンビによって生まれた。高野は、この作詞に自分の幼児時代の思いをすべて注ぎ込んだ。それが痛いほど分かる。
なぜなら高野は長野県北信濃にある寒村、豊田村の出身。農家の次男、三男は多少の教育をつけられ、東京へ送り出された地域で育った。
東京へ送り出された次男、三男が搾り出した強烈な故郷への叫び、悲痛とも思える望郷の念が、この詩の裏にはある。詩が描き出す風景は豊田村そのものなのである。
(何の蝶か?アカマダラか?特定できないが、すでに蝶がヒラヒラと…)
♪1.兎追いし彼の山 小鮒釣りし彼の川
夢はいまもめぐりて 忘れがたき故郷
2.如何に在ます父母 恙なしや 友がき
雨に風につけても 忘れがたき故郷
3.志を果たして いつの日にか帰らん
山は青き故郷 水は清き故郷 ♪
(小布施のフキノトウよりはるかにデカイ!小布施ではフキッ玉と言った)
豊田村は不肖ワタクシの出身地、小布施を流れる千曲川の対岸にある。言ってみれば、唱歌♪ふるさと♪の本家。唱歌♪ふるさと♪を歌う時、人は原風景として見たこともない北信濃の風景を、自分の故郷として思い出している…。
集団避難した被災者がインタビューに応えていた。「怖いけど育った町を離れたくない。早く戻って復興したい・・」
被災者の皆さん、思い切り♪ふるさと♪を歌ってください。おおいに涙を流してください。涙はココロを安定させるセロトニンという脳内物質を出してくれます。復興への力強いココロを蘇らせてくれます。
皆様に、一刻も早く春が訪れますように祈っています。阿寒にも遅ればせながら春がやって来ています。
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