【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 餅つき考!

12月28日早朝。ペッタン、ペッタン・・・餅つく音で目が覚めた。土間へ出てみると、兄さんと順ちゃんが阿吽の呼吸で搗いている。
再従兄弟達も起きてきて、3人並んで湯気が上がる臼の中を覗き込んでた。「あんころ餅をもうすぐ食べられる!」・・・もう60年も前の話である。

(搗きたてのホカホカ餅、握るのは物凄く熱い!)
今週の日曜日、標茶の親戚で恒例の餅つきがあった。−20℃の空気を衝いて標茶へ突っ走る。少年時代の餅つきの楽しい記憶がエネルギーの素になってるのか、「こればっかりは逃せない!」
ただ今年は少し心配事があった。10月に逝去した義弟、クーさんの代わりを誰が勤めるんだ!
杞憂だった。息子のクニ一家4人が4:50分に到着したのだ。クニは言った。「去年は遅くなったけど、今年遅刻すると父さんが化けて出てくる!」
餅つきは順調に進む。次から次へと人が集まってきて、子供達4人を含めて13人になった。60kg、計22臼。搗きあがったのは12時を超えてた。
クニの上達振りは目覚しかった。最初はギクシャクしてたのが、一臼搗く度に余計な力が抜けてくる。搗く前の「練り」も一丁前にできるようになった。納豆餅やきなこ餅が彼の手から次々に出来上がる。

(納豆餅は恥ずかしながら知らなかった。なかなかの美味さである)
「餅つきにも技術があるべさ!」と、標茶の兄貴は満足そうに言った。「これでオレも安心だ」。
そう、確かに餅つきにも侮れない技術がある。誰に伝えていくのか、誰が継承していくのか・・・。
「クーさん、安心してね。クニがクーさんの技術を継承してくれた。いやクーさんを超えたかもしれない」
ただ、ふとこんなことも思った。「餅つきは、日本の保有する独特の文化だ。でも、自宅で殆ど餅つきをすることがなくなった今、便利さを追求してきた我々は何を獲得し、何を失ったのか・・・?」う〜む、餅つきは人を哲学者にしてくれる。
そういえば今週の日曜日は、阿寒町町内会でも餅つき大会があった。独居老人への振る舞い餅は、予定通り実施されたと聞く。子供達は良き記憶を脳に焼き付けてくれただろうか?
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