※その日は半袖でも汗を掻くほど暑かった。紅葉真っ只中だった。これまで見たことのない鮮やかな紅葉だった。15年前の10月20日(明日)のことだ。紅葉から始まった3年間の[阿寒・東京二拠点生活]を経て、自分はこの地に充分に溶け込めたんだろうか?
※あの日から16度目紅葉は今も、町を染めている。「16度目の紅葉かぁ。そう言えば、紅葉に囲まれて荷物整理してるうちに、すぐに霜がやってきたっけ!ここが終の故郷になるんだ、と思ったりもしたなぁ・・」 ああ、センチメンタリック!
(行政センター(本州で言う役場)前庭の紅葉。こんな樹が⒑数本ある)
※「今頃、生まれ故郷の信州小布施は、栗が溢れ、林檎に埋まってるだろう」センチにに浸ってたら、何たる偶然。姉から小布施栗が届いた。江戸末期の俳人、小林一茶が「拾われぬ栗の見事よ大きさよ」と詠んだ、あの小布施栗だ。
※小布施の人々は自分たちのことを(おぶせじん)とは呼ばずに(おぶせびと)」と呼ぶ。歴史や果樹、気候、災害の少なさなどが誇りを生み、その誇りの化学反応が、郷土愛へと結びついて、(じん)ではなく(びと)と呼ばせるんだろうか?
※郷土愛や愛国心は、上から目線じゃ生まれない。その証拠に、「愛国教育」を盛んに提唱したシンゾーは、結果的に教育勅語を中心とした森友学園の教育を支援することになり、モリトモ問題が生まれた。(戦前教育は戦争という怪物を生みだした)
※さて、現在この国に誇りを持てる市民はどれだけいるのだろうか?日本人(にほんじん)ではなく、(にほんびと)と誇りを持って言える人はいま、どれだけ居るんだろうか?頭脳流失が激しい。
★阿寒町は紅葉に染まってる。さて「岸田」(既視だ=すでに見たことのある風景だ)は何色に染まるのか?シンゾー色に染まるのか?有権者は10月31日を冷静に見ている。