【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

右手と左手!

メジャーリーグと日本プロ野球オールスターゲームを見た。勿論、「スピードが違うよ!」とか「華やかさがなア、まったく違うよ!」とか、巷間の評価はよく知ってる。実際、“シティボーイ”と“田舎のプレスリー”との差、もしくは貴族と農民の差、みたいなものは誰でも感じるだろう。東京狛江でウォーキングに精出していた頃に野茂がメジャー挑戦した時も、彼には申し訳ないが、体格の違いとスピードの違いを心配してた。

だが、今回一番大きな違いを感じたのは、右手と左手の違いだった。例えばメジャーリーグを代表するヤンキースの右打者、ジーター。彼は投手に「待った!」をする場合、必ず右手を高く突き上げる。左バッターの場合は左手を突き上げる。これに反して日本の選手の場合、大抵の右バッターは左手を上げて、左バッターは、右手を上げて、ピッチャーに合図を送る。その際、ピッチャーに対して「スマン、チョッと待ってくれ!」という仕草をする。この違いは何か?
結論を先に言えば、『ベースボールと野球の違い』だ。そして、これは決定的な文化の違い、でもある。
メジャーリーグの右バッターは、なぜ右手を上げるのか?アンパイアにタイムを申請するからだ。つまり、「この試合は、すべてアンパイアの管轄下にある!したがってアンパイアの裁定を仰ぐ!」。これがメジャーリーグ文化だ。
日本のプロ野球はどうか?どうも「アンパイアの裁定を全面的には仰いでいない」ようなのである。それが証拠に、右バッターは左手を上げて、アンパイアの裁定を仰ぐことなく、いきなり投手対打者の、一対一の対決に持ち込もうとする。戦国武将の「遠からん者は音にも聞けい・・・」に見られる、名乗りを上げての決闘シーンに近いのである。
“ベースボール”を“野球”という日本語に翻訳した正岡子規(一般的にはそう言われてる)も、まさかそんなことをイメージしてなかっただろう。だが、ベースボールが伝わって135年経っても、どうやら日本人は500年前の、精神的遺伝子を脈々と引き継いでるように思える。良かれ悪しかれ、この精神構造が我々日本人の民族的な遺伝子なのかもしれない。