【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

手を切った!

ようやく退院。それにしても長かった。18日間だ。
帰宅するとすっかり季節が変わっていた。植物はもはや葉を赤く染め、冬篭りの準備をしてる。ヒマワリも黒く変色し、バイオエタノールの原料となりそうな種が一杯についている。
♪季節の変わり目を あなたの言葉で知るなんて〜♪ちゅう歌謡曲があったけど、不肖ヌマピーの場合は手術で知った、というわけである。
それにしてもこの18日間、普段は見過ごしてる、または遠い風景だったいろんなことを体験したり、思ったりした。
まずは当たり前だが、手、ことに右手のありがたさ。我々はどれだけの恩恵を手に蒙っているんだろう?
麻酔についても思う。人は何故麻酔に罹り、ちゃんと醒めるのか?それは睡眠とはどう違うのか?その時脳の情況は?
医師と看護師の現場もつぶさに拝見した。担当医師は日曜日も割いて回診してくれた。想像していたよりはるかに過酷な職業だ。上手くいって当たり前、判断ミスだけでも医療訴訟が待っている。
看護師の大変さも実感した。時には傲岸不遜な患者がお殿様、看護師は女中と言う構図も見かけた。いまや、専門知識のほかに医療サービス業としての対応が求められている。ナイチンゲール思想を持ってしても、若い女性がやって行くためには、これもかなり過酷な職場だ。その意味で、「久田さん、みなみちゃん、気遣いありがとう。心から感謝します」。
病院の外ではその期間、ハリケーンが吹き荒れてた。茶番劇の総裁選から、新内閣の発足、国交相の失言、辞任劇。小泉元首相の引退。異例の所信表明と代表質問。リーマン破綻とAIGの救済、米金融法案の否決、株価の暴落、迷走。大統領レースの混迷。世紀に一回あるかないかの、レベル5ハリケーン来襲である。
世界の、日本の、季節がドラスティックに変わり始めてる。これから地球号は、日本丸は、何処へ行くのだろう。金融至上主義に歯止めはかかるのか?民主主義は?また風まかせになるのだろうか?
掌の手術跡が、時々思い出したように疼く。こういう疼きは、低気圧や季節の変わり目に出てくるという。
疼きを忘れぬために写真を撮った。「そんな写真を掲載するのは、露悪趣味だ。尾籠でもある。見た人が不快になるよ」。理性はそう止めた。「だが、もしかしたら不肖ヌマピーと同じ手術をする人がいるかも知れぬ。参考にしていただくほうが人のためになる」。感情はそう言い張った。で、これまでの自分の優柔不断とは手を切って、写真をアップロードすることにした。「季節は変わったのだ!」
ご覧のようにギザギザの手術痕である。でも、この傷痕のお陰で随分いろんなことを学んだ。
とりあえず、当人は元気だ。明後日には東京に出張する。