【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 阿寒町雪掻き物語

12月21日は冬至だった。一年で最も昼が短い。だが、毎年この日を境に気分は一新、希望の灯火が胸に灯る。「明日からは1日、1日、日が伸びてくる。再生の季節が始まる」。
なのにナンチュウこっちゃ!今年は雪が降っちゃった!希望の灯となるはずの日が、いきなり凹みの日となった。
ま、考えてみれば冬将軍が本格的に進軍ラッパを吹くのは、実はこれから。それも良く分かってるんだが「雪よ、何も今日という日じゃなくっていいじゃない!希望の灯を消してくれるなよ」恨み言のひとつも言いたくなる。
地元の人は言う。「雪が降れば24時間営業。掻き終ったかな、と思って振り返りゃ、始めた時と同じだけ積もってるもん」。そう、雪掻きの辛さはまさにそこにある。カラダが辛いだけじゃない!終わりの見えない徒労感だ。確かギリシャ神話にそんなのがあったなあ。
で、朝食を済まして完全防備、スノー橇やらハンディダンプやらを用意して雪に立ち向かう。ナニ、大して積もっちゃない。たかが、8cmだ。だが始めて10分も経つと汗ばんでくる。外気は氷点下でも、カラダは汗まみれだ。
相方が病院に行くと言ってるので、何とかそれまでに道路までは掻いてやんなくっちゃ。だが、その努力も虚しく出発時間。彼女は当たり前の如くまだ掻いてないアプローチを、車輪で踏んづけて出ていった。車輪の跡は、雪が固まって掻き憎くなる。「・・ったく!お疲れさん、のひとことでも言ってけよ!」
だが、同じ作業を続けてるとハイになってくるのも事実だ。ランニングハイならぬ雪掻きハイだ!純白の柔らかい雪にはキタキツネの足跡。裏山を見上げると、雪の華。オンコの葉に積もった雪も風情がある。「ムリせず、ムラなく、ゆっくりと」頭の中でそう言い聞かせ、少しづつ進む。そう、強引さはダメだ、雪と友達になるのだ。
ようやく終わりに近づいた頃、援軍到着!いつも自分のブルトーザーで掻いてくれる町内会のアシナガおじさんだ。「終っちゃったの?今日は早いねえ」いつもありがとうございます。このぐらいの雪じゃ、掻いてもらうの申し訳ない。そうだ、いつものお礼に、昨日搗いた餅を差し上げよう。出動御礼であると同時に、もっと大雪が降った時の出動予約でもある。
こうして、およそ2時間。雪掻きは完了。少なからずの達成感に耽ってるとき、相方はブルブル、エンジン音をさせながら帰ってきた。「ねえ、アタシ血圧随分下がってるって。あのセンセイ、いいセンセイだなあ」。そうかい、ソウカイッ!
それにしても、移住希望の団塊世代にビビらせる話書いちゃったかなあ?いやあ、でもこういうのがあるから移住生活は楽しいんですよ、諸君!阿寒に移住は如何です?