【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

郷土愛!

東日本大震災の発生2日後の3月13日、拙ブログで「嗚呼、国難!炉心初溶融!総力復興祈念、国難克服!」と書いた。
それから6ヶ月、阿寒はあの日よりはるかに暑いが完全に秋。虫たちも繁殖の季節を迎えたようだ。カメムシ、バッタなどがどこから来るのか、家の中にまで侵入してくる。

(毎日訪ねてくるクヌギカメムシ。どうやら同じ個体のようだ)
被災地では残暑が厳しいようだが、秋の足音も高い。人々は何を考えてるだろう?
「生まれて育ったこの土地を離れたくない」という人の一方で、「住み慣れた元の場所に住みたいが、また津波が来ると怖い!」という人も多く、それぞれの葛藤が地域を揺さぶってるようだ。
被災地3県を対象にしたアンケートでは、郷土からの移住を望む割合が54%に達したという。
ことに放射能汚染で避難を強いられた地域は深刻だ。放射能の消滅が何十年掛かるか予測がつかない。帰りたくても帰れない郷土への思いと、子供たちへの将来への思い・・・。不安は募る一方だろう。

(本州のバッタより少し小さい。体長2,5cmといったところか)
しかも、この国難に追い討ちをかけるように、先週紀伊半島を豪雨による洪水が襲った。奈良県南部の十津川村では12人が犠牲になった。
十津川村と言えば、1889年の大洪水で185人が犠牲となり、村民2500人が北海道旭川から約30kmの地域に集団移住した村である。今は空知管内新十津川町として7,180人が住んでいる。
新十津川町の住人は、奈良の十津川村を「母村」と呼んで、自らの出身地を実に大切にしてるという。町議会は台風12号の被害に対して「母村」に5000万円の見舞金を贈ることを決定した。

(コスモスもそろそろ終わる。ミツバチが盛んに蜜を吸ってた)
「郷土」・・・生まれ育った土地。その土地を自然災害で離れるしかなかった十津川村の村民。津波でその土地を離れるしかないと葛藤してる大震災の被災者達。その思いはいかなるものだろう。
ましてや放射能という魔物による人災で、その土地に帰れない人たちの思いや、想像を絶する。
飛び交うカメムシやバッタを目で追いながら、そんなことを考えてる。
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