やあ、ボクはクヌギのどんぐり坊や。生まれは熊本県の宇城市です。今は北海道釧路市阿寒町の鉢の中で、窮屈な思いをしながら生きている。
どうして熊本生まれなのに、北海道くんだりまで来たのかって?いやあ、話せば長くなるけど、要は今ボクを育ててくれてるヌマピーさんという人が、なぜかボクの里親になっちゃったという訳さ。120人の仲間と一緒にね。阿寒に来たのは5月。タンポポが咲いてたけど、南国生まれには本当に寒かった。
だからボクラは、高田小学校の生徒たちが入れてくれたボクラのベッド、フィルムパトローネの中でまどろんでた。ある日突然、パトローネのふたが開けられ外へ引っ張り出された。寒い!寒い!でも、熊本でも体験したことの無いほどの透明で眩しい陽の光を浴びると、すぐに暖かくなった。これが北国の太陽かあ!緑色のシャツを着た人間が、小さな鉢に土を入れてる。それがヌマピーさんだった。ボクラは一人ずつ名前を確かめられたうえで(何と全員が名前つきだ)、鉢の中に入れられ黒土をかぶせられていった。
皆おとなしい植えられていく。やがてボクの番だ。「若城奈那ちゃん」。ヌマピーさんはパトローネに書かれた名前を見て呟いた。“そうかあ、ボクを育ててくれたのは若城奈那ちゃんなんだ!”。
ヌマピーさんは、ボクを黒土と腐葉土が入った小さな鉢に移し、その上からまた土をかけた。お陰で、透き通った太陽の光が見えなくなってしまった。土の上からヌマピーさんの独り言が聞こえた。「早く芽を出せ!」「しっかり育て!」。その声を聴きながらボクはまどろみに附いたようだ。
はっきり、目が醒めたのは何時だったか、いきなり眩しい陽の光が脳に届いた時だ。頭の上に被っていた土をボクは押しのけて、陽の光の中にポンと顔を出したらしい。季節は夏に近くなっていた。
周りを見回すと、いるいる!ボクラの仲間がすでに大勢顔を出してる。まだ、顔が見えない奴もいるが、半分以上は顔を見ることできた。ボクは突き上げてくるマグマのようなエネルギーを感じた。「エネル木」。そんなシャレが口をついて出た。その時、いきなり集中豪雨が降ってきた。ヌマピーさんが、ジョウロで水を掛けてる。呟きが聞こえる。「出てきた!出てた!」「しかしなあ、120本もどうしよう・・・」。何だか悩んでるようだ。まあ、彼が里親だ。ボクラにはどうすることもできない。
何十回も日が昇り、陽が暮れた。気温はどんどん暖かくなり時には暑すぎる日も出てきた。ボクも、仲間も身長がグングン伸びた。人間の手のような枝や葉っぱだって広がり始めた。風が気持ちい。ボクラは手足を充分伸ばし、深呼吸を繰り返す。時には蟲が飛んできてボクの手を齧ったりした。
昼と夜が百回は超えただろうか?ボクは妙なことに気がついた。ボクの兄弟が同じ鉢の中で育っているのだ。つまりボクは双子だったってこと。
さらに、写真を見てほしい。ボクの隣の須崎澄空君が育ててくれた仲間は、ボクよりも身長が決定的に低いのだ。しかも頭の上が赤ッ茶けてたりする。ボクと随分、違うじゃないか。
人間の言葉で、「ドングリの背比べ」ってのがある。『どれもこれも似たようなもので、大したものではないこと、また大きなちがいはないこと(広辞苑)』の意味のようだ。だが、そりゃ、ドングリをよく見てないんじゃないか?ドングリだって、ボクと同い年生まれの須崎君との間にゃ、大きな違いがある。
「ドングリの背比べってのは、人間が勝手に決め付けたウソだ!」。人間にDNAの違いがあるように、ドングリにだってDNAの違いはあるんだ!でもボクラはDNAが違うからと言って、人間のように殺し合いはしない。人間のように自分だけ、という考えは持たない!むしろ、一緒に生き、リスや鳥など他の命を育てながら自分も生きるのを喜びとする。僕らのほうが、生物としちゃ立派じゃないだろうか?『大したものじゃない』って解釈は、ドングリに失礼じゃないか!!
ヌマピーさんは、ボクラの里親を探してくれていたようだ。「道新を読んだと言う人が次々と来て、仲間が里子として貰われていく。「ガンバレ!」「しっかり育って里親の子供たちを喜ばせろよ!」ボクはココロの中で声を掛ける。
ボクも早く新しい里親に引き取られたいのだが、どうなるだろう?来年の春までここに居るのかなあ?