【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

現代・知床旅情

噺家金原亭馬生さんが、道東標津へ来ると言う。NHKラジオの公開録音番組収録のためだ。放ってはおけない。で、標津に駆けつけることにした。1泊2日。丁度いい、次の日は知床を回って来よう。標津まで148km。公開録音会場の生涯学習センターに向かうと、偶然馬生さんに遭遇する。14:00に到着したが、高座が終わったらすぐに帰京するのだと言う。何とマア、忙しい。でも元気そうだ。今日の高座が楽しみだ。
宿をチェックしてから、野付半島へ。日本で一番長い砂嘴だという野付半島は先端まで24kmもある。一番細い部分は何と50mほど、道路の両脇が海、である。馬生さんを案内すればよかった。きっと喜んでくれたろうなあ。反省!
左手に国後島が見える。わずか20km先は、ロシア領土なのである。手を伸ばせば届くほどのこの島が、太平洋戦争終末期に略奪された。そのまま62年。紆余曲折はあったが、悲願の四島返還は今となってはもう夢のまた夢である。
もしかしたら、佐藤優鈴木宗男の二島返還論が現実的だったのかもしれない。ロシアの200海里を武器に、道東の漁業はまったく息の根を止められた。
公開録音には、ケーシー高峰も来ていた。さすがに田舎の、それも高齢者たちのハートを掴むのがウマイ!加齢モノや、健康モノのネタのギャグを連発。爆笑を誘う。この分だと、後から演る馬生さんはやり憎いだろうなあ。しかし流石だった。演目は「子はかすがい」。ケーシーのギャグに笑いこけてた聴衆が、次第にこの人情噺に引き込まれていく。前の席のオバサンは、親子のやり取りの部分で涙を拭いてる。う〜ん、参ったア。やっぱりプロだよ!万雷の拍手で馬生さんの高座は終わった。
さて、翌日である。標津から、羅臼、さらにウトロへと知床半島を横断する。約80km。オホーツク海に突き出た牛の角みたいな知床半島の根元を山越えする。森繁と加藤登紀子知床旅情、♪しれ〜とこ〜の岬にぃ〜♪が、口を付いて出る。しかしなあ、あの歌が出た頃の知床は、厳しい環境だったのだろうなあ。
車は知床峠を登る。おや、まだ雪が残ってる、もう7月だぜ。ゼイゼイ言いながら、知床峠の頂上に着く。いやあ、スゴイ眺めだ。ココは北海道じゃない!アリューシャンから流れ出た島が、くっついたみたいだ。伊豆半島と同じである。荒々しいほどの風景が、さすが世界自然遺産であることを実感させてくれる。でも、一時のブームは去り、観光客は減り続けてると言う。さらに、規制で手を入れられないことが、皮肉にもエゾシカやヒグマの数を増やし、生態系を破壊してるらしい。どうしてそうなるのか?人間のやってることは、殆どチグハグである。遠く雲上に浮かぶ知床連山を見ながら、なぜか寒々しい思いがこみ上げてきた。これから裏摩周を回って帰る。楽しいはずの知床旅情は、なぜか苦々しい旅情になってしまった。
馬生さんの公開録音番組「真打競演」は、9月1日21:05〜55、ラジオ第一で放送予定だ。勿論、聞くつもりである。なんせ、自分がその番組を構成してる一員だったわけだ。細かい仕草まで脳は全部覚えてるに違いない。臨場感一杯だろうなあ。それと同時に、苦々しい知床旅情も思い出すだろうなあ。