【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

“暮らしの場”

ひとつだけ誇れることがある。春の到来を告げるネコヤナギのうち、最も大きく、豊穣で気品のある樹が何処にあるかを知ってることだ。
いわば、近辺の「ネコヤナギ・キング」の存在場所を知ってるのだ。しかも、場所だけじゃない!その樹が最も艶やかに、華やかになる時期も知ってる。
3年間のウォーキング効果のひとつである。
地元で一目置かれるひとつに、地元事情に詳しいことがあげられる。
いつの時期にどんな行事があり、それにはどんな手続きが必要か。それに関しては町内の誰々が詳しく、その誰々は、どんな職場で、どんな仕事をしてるか、などだ。
だが、何時の時期に、何処でどんな花が咲き、山菜は何時、何処のものが最も美味い!こうした知識をカラダの中に蓄えている人も一目を置かれてる。
その意味じゃ、ネコヤナギぐらいじゃ、まだまだ新参者だ。
かつて、北海道では地元は“生きる場”だったと言う。
「それが“暮らしの場”に変わってきたんかな、地元のことをな〜んも知らん者が増えた!こんなとこでも都市化が始まってるんだべ」。ある長老は、遠くを見つめた。
「昔は、自然を知ってることがイチバンだった。自然を知れば、自然と生きてくチエや工夫が湧いてくる。愛着も湧いてくる。なんしろ住めば都だからな」。
聞いてて思わずゾクリとした。アメリカインディアン「ナバホ族」と同じじゃないか!
北海道は、47都道府県中、「郷土愛がNO.1」だと言う。
道内では頻繁に移動を重ねるが、他県への移動は最も少ない。ただ、最近では働く場所が少ないため、嫌々ながら都市に就職していく若者も多いと聞く。
折しも長く厳しい冬を越し、残雪の中から福寿草が花を咲かせ始めた。もう5日もたてば、町は福寿草の黄色い花の繚乱となるだろう。
こんな光景を人間は嫌いなはずがない!
果たして、都市は“生きる場”だろうか?“暮らしの場”だろうか?勿論、その両方なんだが、感想は・・・お任せします。