【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

ボランティア元年から20年!

※未明に新潟県赤倉のスキー場から東京に戻った。3泊4日のスキー行だった。明日は出勤日。遅刻できない。5時間ほど眠って8:00頃目覚めた。テレビを点ける。寝ぼけ眼に真っ赤に燃える画面が飛び込んできた。阪神・淡路大震災だった。
※1995年1月17日NHK緊急ニュース。押しつぶされた木造家屋を火が舐めるように燃え広がってる。そして、その家屋の中には、まだ沢山の人が救助を待ってるという。思わず体が震えた。犠牲者6434人。後に西宮市で暮らしてた友人が言った。「テレビが舞った」

(阪神・淡路大震災の犠牲者達へ、そして遺された方々へ供花)
※震災直後から、着の身着のままで現地に手助けに駆けつけた人が激増した。後に「ボランティア元年」と名付けられたこの活動は、失われてきた日本人の「助け合い・共助」の美徳を思い出させてくれた。これこそ、イザべラ・バードが驚嘆した日本人の原点と言っていい。
※しかし、その美徳の裏じゃ建設業などの企業が被害者をよそに都市の再開発に向けて青写真を描き、算盤を弾いてた現実も目の当たりにした。「他人の不幸は蜜の味」。そういう企業人たちが渦巻いていたのも事実である。
※あれから20年。不肖ワタクシは、古稀になった!そして、この20年の間に、東日本大震災をはじめ、新潟地震など何度も何度も大地の揺さぶりを受けた。さらに政権の交代など、政治の世界でも何度も激震を受けた。果たして阪神・淡路大震災の教訓を我々は生かしたのか?

東日本大震災の犠牲者達へ、遺された方々へ供花。哀しみと共に、苦渋の笑顔が…)
※災害復興住宅などで誰にもみとられずに亡くなる「孤独死」が千人を超えたと言われる。復興公営住宅の高齢者比率は50.2%となり、その行方も不安視されてる。20年経ってハード面では大分復興できたが、ソフト面は復興してないのが現実である。
※もうじき4年となる東日本大震災じゃ、ハード、ソフトとも復興には程遠いのが現実だ。・・・・・・さてさてさて、沖縄への対応など、成熟したオトナの思考を持てない政権はこの現実にどう対応しようとしてるのか?本腰を入れないと反乱が起きてもフシギじゃない。
※ただ、改めて思う。日本列島は地球上最も過酷な地域のプレート上に浮かんでる。日本人は最も危険な地域のひとつに暮らしてるのだ。この事実を政治家、企業家のみならず、国民全員が脳の芯に焼き付けておく必要がある。列島沈没だってあり得ないことじゃないっ!