【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

“故郷”のフシギ!

8泊9日。釧路→東京→長野→東京→釧路と駆け抜け、昨夜帰寒した。
東京では相変わらずの喧騒とナイトライフを愉しみ、郷里の長野・小布施ではキノコ狩りとキノコ汁、そして幼友達との旧交を温めた。なぜかどちらも“故郷”と感じる。

その意味では阿寒も“新しい故郷”だ。今朝は紅葉が落ち着いた風情で迎えてくれた。
考えてみれば父親が転勤族じゃなかったのに、随分いろんなところに住んだ。長野県飯山市にも、新潟県三条市にも、石川県和倉温泉にも住んだ。そして、そのどこにもフシギなことに“故郷”という感覚が残る。なかなか記憶から消し去ることができないのだ。
もしかしたら、それらの記憶が“故郷”というコトバとダイレクト・リンク回路を形成してるのかもしれない。
大先輩は言った。「人間には記憶力じゃなく、忘却力が必要だ」。そのとおりだ。
だが、店の名前や初対面の人の名前に対する忘却力は、抜群に優れてるのに、一度暮らした土地にはどうして働かないんだろう。
その土地をすぐに好きになるからだって?そう、もしかしたらそうかもしれない。何たって「住めば都、いや田舎」だからなぁ。