【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

「藤、三つ咲いた!」

(一つめは、ウチの山藤。二つめ、三つめは「藤井聡太君」「藤井荘」のダブル「フジイソウ」)

 

池上彰は全国紙を殆ど取ってるという。「コラム中心に目を通しますが、書出しで何を言いたいコラムなのか、を予想するのが好きです。予想通りだと嬉しい!予想外れだとじっくり読み込みます」。その意味で今回のブログはタイトルからバレバレだ。

 

※そう、ご推察の通り今回のブログはウチの山藤と、将棋史上最年少で名人と7冠を征した「藤井聡太新名人」。それにその開催地、長野県高山村老舗旅館「藤井荘」の話。「藤井新名人」の強靭さはもはや言不要だが、「藤井壮」の物語もなかなか興味深い。

 

(野生のタラの芽。ホンのちょっとだけ自然のおすそ分けを戴く)

(藤井荘の名物料理「ポンポン鍋」は狸鍋じゃない。自分で揚げる天婦羅だ)

 

※「藤井荘」(緑霞山宿 藤井荘)は、戦国武将「福島正則」が発見、1798年に開湯した名湯「山田温泉」にある。幽玄の山郷にひっそり佇む正統派の日本旅館と言っていい。森鴎外与謝野鉄幹・晶子、菊地寛など文化人が滞在した伝統ある旅館だ。

 

(藤井荘には、こんな感じの素朴さもある)

 

※先々代が上梓した(と記憶してる)「宝石のような旅館づくり」は昭和30年代後半各地の旅館主性質に評判となり、能登和倉温泉「加賀屋」(昭和NO.1人気館)やさらには阿寒湖温泉「鶴賀」(北海道NO.1リゾートホテルとの評判)など旅館業の一大系譜を作り上げた。

 

※その伝統ある「藤井荘」で、名人戦を征した「藤井聡太新名人」も名前の偶然性に感慨深かった様子で「記憶に残ります」と語ってた。が、「ダブルフジイソウ」は決して偶然ではなく、招致に全力を尽くした「藤井荘」の熱意の結果だったと聞く。

 

(ハイマツの新芽。柔らかい。ほんのり赤く染まってるのが将来の可能性を感じさせる)

 

※ともかく、藤井新7冠おめでとう!あなたがいろいろな最年少記録を更新してくれて本当にウレシカッた。ことに自分にちょっとした所縁のある場所での快挙は、喝采ものだ。若い人が活躍するのは眩しい。老いた政治家共よ、ソロソロ引退を考えたらっ?                

(咲き始めたレンゲツツジ。今年は色があまりよくない。なんでだろう)

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★実は、信州山田温泉は故郷「小布施」から約13km。隣村高山村(移住を検討したこともある)の松川渓谷沿いのひっそりとした温泉場だ。共同湯の大湯は、温泉場の一番奥にある。「藤井荘」にも何回か宿泊したことがある。名物ポンポン鍋は当時、漫画家東海林さだお氏が「オール読物」で紹介して有名になった。

 

★素晴らしいのは(チョッと専門的になるが)、まだCI(coporate Identity=企業のデザイン・イメージ統合)なんて概念がない時代に、女将の目ですべてをデザイン統合してたことだ。舌を巻くほど先進の、この概念定着の凄さは、現代の「星野リゾート」にも大きな影響を与えてると考えられる。

 

★学卒後2年間、「加賀屋」に広報兼バーテンダー兼バンドマンとして勤務してただけに(「星野リゾート」もUターンした際のクライアントだったし、現社長は当時まだ高校生だった。「鶴賀」も同じ町内にある)、理由は大してないけど何だかウレシイっ!プーチン政権が倒れてくれればもっともっとウレシイのだが・・。