※湿原の画家「佐々木栄松」(ささきえいしょう)は、1991年「画集の手記」に次のように書いた。
※『人々は私のことを“湿原の画家”と言いますが、私は自分から湿原の画家などといったことはありません。だが、湿原の作品が著しく多いことは事実です。
(タイトル:夜の湿原 先日満月の夜、湿原ではこんな風景があったのかも…。幻想的だ。)
※これは湿原のもつ空間が私の制作の上に不可欠の意義を持たせているからで、その意味では根釧原野の広大さも同じだと思っています。
※ですから、“道東の原野画家”とか、“空間の画家”と呼んでくれたほうがよいと思っておりまして、即ち、私の作品は風土、人物、動物、植物やその他のものの命の描写でありますから、道東の心象表現が制作の基になっているわけです』
※当人はそんなふうに思ってたのだが、この手記から22年たった今も、人々は彼を“湿原の画家”と呼ぶ…。