【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 「9.11」後8年!


「オレは60年生きてるけど、今年は100年に1度の異常気象だね、間違いなく!」
酪農家のオジサンが力を込めてそう言ったのよ、と床屋のオバサンは言った。「60年しか生きてないのに100年に1度!と言うのもヘンだけど、恒例のヒマワリ祭、全滅で中止になったしねぇ」
ところが、である。ウチのヒマワリはいまを盛りと咲いてるのである。
「だから何だってんだ」と言われそうだが、ヒマワリだけじゃない。盛夏の代表的季語の鉄砲ユリやグラジオラスも、満を持したように咲き誇ってるのだ。
もう東京でも秋の気配だぜ。なのにこの北国でまだ夏を謳歌してる奴がいる!何でだ?
思いつくことがある。何年もの間、凡庸なコピーしか書いてなかった奴がある日突然、才能を開花させることがある。誰もが予想だにしなかった遅咲きのコピーライターもいるのだ。
成長が極端に遅かったウチのヒマワリや鉄砲ユリは、もしかしたらそういう類の種かも知れぬ。
周囲のシンパイを他所に、ヒョロヒョロと生き延びてきた。お陰で8月下旬から多少増えた日照時間の恩恵をフルに蒙ることができた。
本来ならば死んでたのかもしれないのに、成長遅れで生き残ることができたのである。
早熟のミヤマザクラは長雨にたたられ、日照の喜びを充分味わうこともなく落葉を迎えた。
幸い子孫のサクランボは結実することができたが、もはや冬を待つばかりだ。
この狭い空間には、夏と秋が同居してる。生と死が隣り合わせで存在してる。もっとも、秋という季節はそういうものなのかもしれない。
折しも今日はアメリカでは「9.11」。あれから8年経った。もしかしたら、人類は夏から秋へと移行してるのだろうか?この8年間に起こったさまざまな出来事を思い返してる。
・来た道と別の道行く落ち葉かな(国富瑞子)
因みに「落葉」は、冬の季語である。