【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 古今エネルギー事情考!

舌辛川(したからがわ)の上流に、1970年廃線となった旧雄別線の鉄橋跡がある。ウチから13kmほどのところだ。
モチロン、枕木もレールも取り払われ、雄別炭鉱から運び出される膨大な石炭列車を支えた屋台骨は、錆びて腐食が進んでる。

雄別炭鉱は1919年、三菱鉱業(現三菱マテリアル)によって開山された。釧路周辺炭鉱では最も埋蔵量の多い炭鉱として注目され、1923年石炭を釧路まで運ぶ雄別線が敷設された。
1948年には従業員数3000人を突破、1960年代には1万5000人を超える住民が暮らしてたという。
迎賓館があり、映画館や大規模共同浴場、マーケットなど、山奥でありながら先進的な企業城下町を形成してたと記録にある。まさに日本のエネルギーを支える重要スポットだったと言うわけだ。

だが、エネルギー需要の流れは石炭から石油へ。さらには坑内爆発事故などもあって、雄別炭鉱は1970年閉山、それに伴って雄別線も廃線になった。

(旧雄別線線路跡にはフキノトウが頭を出してた)
従業員たちは次々とヤマを去り、かつて炭住があった布伏内(ふぶしない)地区には現在170人に満たない人が住むばかりである。

時代とはそういうものだ、エネルギー事情とはそういうものだ、という声が聞こえそうだが、ポツンと取り残された鉄橋跡を見てると、わずか50年の間に通り過ぎた栄枯盛衰の無常が胸を打つ。
昨日3月30日、福島第一原発1〜4号機の廃炉が決まった。30年前に仕事で取材に行った原発である。
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