【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 マロンのロマン!

・拾われぬ栗の見事よ大きさよ
この句は、俳諧師小林一茶」が不肖ワタクシの出身地、小布施で詠んだものだ。以前にも書いたように、小布施は古くから栗の産地として知られてる。
その小布施から、地元の生栗を送ってきた。北海道に栗はないのでウレシイ。

(冷凍しちゃったのでみずみずしさが失われた。デカイ!長径5cmほどもある)
小布施の栗は、雁田山城主「荻野常倫」が室町時代室町時代に旧領地の京都丹波から苗を取り寄せて植えたのが起源といわれる。
その後、文化年間(1804年〜17年)に、塩屋・桜井幾右衛門が“栗落雁”を開発したのをきっかけに、豪商、豪農が勃興。葛飾北斎や、小林一茶などを招くようになった、と紹介文にあった。
だが、栗の植栽はそんな程度の歴史じゃない!青森市三内丸山遺跡の発掘によって、何と縄文時代(約5500年前)から、栗の栽培が行われていたことが判明した。

(剥き身の栗。茹でると真黄色になる)
もうご存知のように、三内丸山遺跡では柱穴4.2m、幅2m、深さ2mの巨大な六本柱建物跡が発見され、それが栗の木の柱で建築されたことが分かった。
しかも栗、ゴマ、ヒョータン、マメ、ゴボウなどの作物も発掘され、栗は主食であったばかりか、栗林があったことも分かってきたのである。つまりここの縄文人たちは、従来言われてる採集生活じゃなく栽培生活を営んでいたのだ。

(山菜栗おこわ。甘くて美味かった。チョッピリ縄文人のことを思った)
さて、この偉大な歴史を持つ栗をどんな料理にして押し頂こうか?やっぱり栗おこわかなぁ。そうだ、山菜栗おこわがいい。
と言うわけで、縄文人の暮らしを想像しながら、栗をゼイタクに頂いたのであります。まさにマロンのロマンなのであります。
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