【スローライフ阿寒】

自然の中に置かれると人は何を、どう、考えるのか、ゆっくり対話しながら生きたい

 砂金掘り!

▼男は23歳の時、生誕の地、北海道に戻って枝幸(現宗谷管内えさし町)へ向かった。砂金掘りを始めるためである。昭和5年のことだった。砂金掘りを始めたのは当時の職人の日給よりも数倍賃金が高かったからだった。
▼わずかな家財道具と砂金掘りのための道具を背負って、飯場へ入地した。春夏秋冬、来る日も来る日も沢に入って砂金を探した。砂金を追って彷徨い、めざす川や沢に着くと、木の葉や草で掘立小屋を建て砂金を探し、砂金を掘った。砂金が出なければ東西南北を問わず、すぐに移動した。

(岸には残雪があるが、春の光が戻ってきたシタカラ川。こんな雪解川でも砂金を掘ってたんだろうか)
▼その間、砂金掘りの仲間たちから様々な話を聞いた。明治時代には、30kgを掘りだした者もいたと言う。数千人もが山に入り、近場の町では砂金の買い取り業者や雑貨店や飲み屋で大いに賑わってたと言う。
▼まるで、かつてのアメリカ西部のゴールドラッシュ、つい20年ほど前のアマゾンのダイヤモンドラッシュみたいだったらしい。そういう話が男の一獲千金の夢を大きく膨らませた。黄金色に輝く夢が、男をどうしても川の縁から離さなかった。その頃から、砂金掘りはロマンになっていった。
▼20年も経った頃、砂金はなかなか採れ憎くなった。砂金掘りは一人いなくなり二人いなくなり、だんだん少なくなった。男は、兄弟が住む町の傍の川岸に掘立小屋をたてて、砂金掘りをするようになった。気が付くと、専業砂金掘り師は、北海道で一人となっていた。

(夏の砂金掘りは楽しいに違いない。川のせせらぎの音に同化して無限の時が流れていくようだ)
▼それでも、掘りたい時に掘って休みたい時に休める砂金掘りを離れたいと思うことはなかった。零下30℃でも掘立小屋で火を焚き、川のせせらぎを聞きながら気ままに暮らした。家は持たなかった。こうして40年が経った。
▼男に興味を抱いた青年がいた。来し方を本にしたいと思った。砂金掘りの技術や道具も後世に伝えたいとも思った。そして昭和55年、一冊の本が上梓された。〜北海道「砂金堀り」〜(加藤公夫著 北海道新聞社刊)である。

▼男の名を辻秀雄さんと言う。現在存命なら106歳になる。テレビ番組で紹介された時、辻さんは目を細めて嬉しそうに体験談を語ったと言う。
▼ところで、黄金色に輝く砂金は辻さんを含む多くの砂金掘りたちを幸せにしたのか?不幸せにしたのか?それは当人たちにしか分らない。
▼ただ、辻さんは砂金と生き、自然と生きる暮らしから離れられなかった。本はその辻さんの生き方を、濃厚な取材をもとに濃厚な味付けで伝えてくれる。

※現在北海道では、宗谷管内浜頓別町中頓別町十勝管内大樹町の3町、下記の施設で砂金掘りを体験できる。砂金掘り体験はチョッとやってみたい体験だ。
浜頓別町・ウソタンナイ砂金採掘公園●中頓別町・ペーチャン川砂金掘体験場●大樹町・砂金掘り体験地